産婦人科のエキスパートとして、40年間活躍してきた吉村泰典先生。そのプライベートは、なかなかユニークなもの。先生の生き方を見ていくと“家族って何だろう?”ということを考えさせられます。回顧録パート2をお送りします!
(パート1はこちらからどうぞ。)
初めての別居生活は娘が3歳の頃
医師になって7年目に、東京の慶應義塾大学病院から静岡の浜松赤十字病院に移ることになりました。女房は慶應で働いていたので、単身赴任。女房は、実家を頼って、娘と二人の生活をなんとか維持していました。これが最初の別居生活です。
そして、1年ほどたってから、彼女は名古屋の保健衛生大学に勤めることになりました。僕が岐阜出身だったのと、そのとき浜松の病院にいたことから、彼女は近いところがいいだろうと、名古屋の病院を選んだんです。
岐阜の両親に協力してもらいながら、女房と娘が一緒に暮らし、僕は浜松という生活。そんな状況に慣れた頃、今度は僕にアメリカへの海外留学の話が持ち上がります。東海岸のフィラデルフィアにある、ペンシルバニア病院です。僕、まったく行きたくなくて(笑)。医者としては成長する大きなチャンスだから、100人新人がいたら99人は喜んだかもしれません。でも、僕は残りの1人。本当に行きたくなかったですね。
はじめは断ったけど、結局どうしても君じゃなきゃいけないと言われて、しぶしぶ行くことに。そしたら、すごく怖い教授だったけれど、女房の上司である教授に、家族みんなでアメリカに渡れるように頼んでくれて。粋な計らいをしてくれたのです。でもね、女房の上司の答えはノー。名古屋の病院に行ったばかりだから、まだいてもらわなくちゃいけないと断られてしまいました。