リスクは? 痛みは? 無痛分娩にまつわる誤解【専門医監修】
ミキハウス編集部
アメリカ73.1%、フランス82.2%、イギリス60%――この数字は2016年当時の、各国の無痛分娩の普及割合を比較したもの(※1)。対して日本はわずか6.1%。2020年までに、8.6%まで上昇していますが、欧米各国と比べると無痛分娩は少ないままです。
なぜ日本では無痛分娩が「当たり前」にならないのでしょうか? その理由や医療現場における課題について、『出産に「痛み」はいらない』(幻冬舎)の著者で数多くの無痛分娩を手掛ける産婦人科医の岩本英熙先生にお話を伺います。聞き手は、自身の妻が二人の子をいずれも無痛分娩で産んだマガジン編集部のIです。
「無痛分娩なのに痛かった」という人が多いのはなぜ
――無痛分娩の体験談をお聞きすると、痛みをほとんど感じなかった人もいればそれなりに痛みがあった という方もいます。実際、うちの妻も無痛分娩を2度経験しており、1度目と2度目は違う産科で産んでいるのですが、いずれも痛みがないわけではなく、特に1度目はそれなりの痛みもあったと本人から聞いています。
岩本先生(以下、岩本): そもそも無痛分娩とは硬膜外麻酔を使い陣痛の痛みを緩和しながら 、分娩をすることを指します。無痛分娩でも痛い思いをされた方は、麻酔が十分に効いていない ことが原因と考えられます。
Iさんの奥さんが経験した無痛分娩は、いずれもそれなりに「痛み」があったということですが、日本ではスタンダードな無痛分娩 だと思われます。つまり「無痛分娩」というよりは「和痛分娩」、あるいは「減痛分娩」と言う方が、妊婦さんからすればしっくり来るかと思います。現状で言いますと、完全に痛みを感じない状態まで麻酔を十分にかける産科は少ないんです。
――妻の場合、痛くなったら自らで麻酔を入れられるよう、分娩室でボタンを手渡されたのですが(押したら自動に投与される仕組み)、はじめての経験であったため「どの程度の痛さでボタンを押していいかわからなかった」 とも漏らしていました。結果、「思ったより痛かった」とも。
岩本先生: よく聞くエピソードです。陣痛がはじまり、子宮口が4−5センチ開いてから麻酔を開始するようなクリニックも少なくありません。そのタイミングで入れて「痛い」という結果になるのはある意味当然です。
私見になりますが、無痛分娩は完全に痛みを取り除くことが理想です。そのためにはしかるべきタイミングで、十分な量の麻酔を入れること。そして最初から最後まで痛みをなくすには、自然に陣痛が来るのを待つのではなく、計画的に陣痛を起こすことが必須になってきます。つまり、お産を完全にコントロール することが重要です。
――お産を完全にコントロール…そんなことできるんですか?
岩本先生: 可能です。ただし、それを実施できる高度な医療技術を有する産科は極めて少ないのが現状 です。実際、私が院長を務める「スワンレディースクリニック」(東京都北区)では、出産日も計画通りに、完全に痛みのない「完全計画無痛分娩」を掲げています。日本では「完全無痛分娩」を掲げているクリニックはほとんどありません。
――ちなみに完全無痛ではない、現状の“スタンダートな無痛分娩”の痛みって、どれくらいのものだと考えればいいのでしょうか?
岩本先生: あくまで目安ですが、自然分娩の痛みを10とすると3くらいの痛み があってもおかしくはありません。それでも一般的な自然分娩に比べれば痛みも格段に少ない ですし、産後のダメージも抑えられるので母子にとって安心できる出産方法だと思いますよ。
無痛分娩にまつわるいろんな誤解
――無痛分娩に関しては実態がわかっていないこともありますし、誤解も少なくないのではないかなと感じています。たとえば麻酔についても、本当に痛みを感じなくなるまでからだに入れて大丈夫 なんだろうか、赤ちゃんへの影響 はないのかな、などと思ってしまう。特に過去の無痛分娩における医療事故は、麻酔が原因で起きたものという報道もあります。
岩本先生: そうした報道があると、心配になるのはわかります。医療事故は言うまでもなく大問題ですが、だからといって無痛分娩や硬膜外麻酔そのものが危険であるというわけではありません。つまり個別の事故で(それは大変遺憾なことでありますが)「技術」や「医療」自体が否定されるべきではないと考えます。
正しい管理のもと、正しい手順で麻酔をして分娩すれば、母子ともに自然分娩以上に「安全」に出産することができる のです。そもそも硬膜外麻酔はなにも特殊な麻酔ではなく、ごくごく一般的なもの。母体への影響はもちろんのこと、赤ちゃんへの影響についても心配する必要はないと言えるでしょう。
――無痛分娩において麻酔を効かせすぎると、いきめなくなって分娩が困難になると言われますよね。分娩時に力がうまく入れられず「鉗子(かんし)分娩」や「吸引分娩」など器具分娩になることもよくあると言われています。器具を使って赤ちゃんの頭部を掴んだり、器具で吸引することで、頭の形が変形してしまうことを心配されている妊婦さんも少なくないのかなと。実際、我が家も1人目のときは、最終的に器具を使っています。
岩本先生: たしかに無痛分娩では器械分娩率が10%増加すると言われています。しかしながら、麻酔がしっかり効いていたとしても腹筋など(麻酔が効いていない場所)に力を入れればしっかりいきむことはできますし、無痛分娩でも器具を使わず分娩される方はたくさんいらっしゃいます。そもそも器具を使用することで赤ちゃんの頭の形が変わったり、傷ついたりすることはありますが、適切な方法で使用するので数日のうちに自然と治るものであり、心配はいりません。
なお通常の経膣分娩でも赤ちゃんの頭の形が変形することはよくあります。赤ちゃんの頭蓋骨は柔らかく、狭い産道を通るときに変形してしまうんです。これもすぐに治るものなのでご安心ください。
――日本では自然分娩の方が安全だという認識も根強いですよね。お産は自然に任せるべき と考える方は少なくない…どころか日本ではその考えが一般的ではないでしょうか。
岩本先生: そうですね。ただ自然分娩と言っても、医療が発達する前の時代に比べれば「自然」ではないですよね。現在の自然分娩とは自然に任せる分娩ではなくて、母児が危険な状態に陥った時、適切な医療介入を行う分娩です。痛みに対して適切な医療介入を行う無痛分娩は、自然分娩のさらなる発展型なのです。
――なるほど。適切な医療介入ができる時代になり、その「適切」の及ぶ範囲を「痛み」にまで拡張したものが無痛分娩であると。
岩本先生: ちなみに2010年から2016年の間に、妊娠中から産後1年以内に妊産婦が亡くなった271例のうち、無痛分娩での死亡は14例(全体の5.2%)です。その14例の原因を詳しく調べると、麻酔が原因であったもの(局所麻酔中毒)は1例で、 そのほかの13例は、無痛分娩を行っていなくても起こりうるもの(※2)。少なくとも、無痛分娩の方が自然分娩より危険である、ということは言えないと思います。
また、のべ1万人以上の分娩を手掛けてきた私個人の経験でも、母子ともに自然分娩の方がリスクや怖さを感じることが多いです。産科施設によって帝王切開率は大きく異なりますが、自然分娩での帝王切開率の全国平均は15%程度だと言われています。それに対し、当院の完全計画無痛分娩の帝王切開率は1.2%です。医療の高度化により自然分娩が発展した無痛分娩を適切に行えば、(現状の)自然分娩よりも安全な出産方法 だと私自身は考えています。
どうして日本では無痛分娩が広まらない?
――日本では「出産の痛み」は尊いものである、という価値観が根強い ことも無痛分娩が一般化しない理由のひとつになっているように思います。あの痛みに耐えてこそ、子どもを愛せるのだと。
岩本先生: 痛いから子どもを愛せる、というわけではないように思います。我々、男性は子どもを愛せないわけではないですし、無痛分娩や帝王切開で出産した女性たちはちゃんと子どもを愛している。当たり前のことですけど。
しかしながら現実として「痛みあってこその出産」という価値観は、日本ではとりわけ強い。それを望まれる当事者女性もいるので、その価値観自体は決して否定されるべきものではないですが。
岩本先生: ちなみに“無痛分娩先進国”でもあるフランスは、1981年の時点での無痛分娩率はわずか4%です。それが2016年には82%を超えるまでになっている。それはフランスの女性が「出産に痛みはいらない」ということを理解し、加えて安全性の認知が広がったからこそ、行動に移せたのだと思います。
――我慢を美徳とする日本社会の空気も大いにあると思います。ちなみにアメリカのミシガン州における日本人の硬膜外無痛分娩率は63.2% だそうです(※3)。
岩本先生: 文化や世間の空気の影響もあるでしょうが、日本では妊婦さんが無痛を選びたくても選べない、という現実もあります。要は日本の周産期医療のシステムが無痛分娩に対応できていないんです。
――無痛分娩ができる産科も限られていますしね。特に地方だとそれが顕著。なぜ、そうなっているのでしょうか?
岩本先生: 通常、無痛分娩では「出産の管理」と「麻酔の管理」が必要になってきます。欧米の場合、大型の周産期医療センターに分娩が集約されていて、産科医と麻酔科医が常駐しており、無痛分娩に対応しやすいシステムが構築されているのですが、日本ではそうなっていない。こうした構造上の問題があり、日本では長年、なかなか無痛分娩の体制を整えることができなかった んです。
――日本の妊産婦死亡率は医療先進国の中でもとりわけ低く、周産期医療は世界でもトップクラスだと言われているにも関わらず、そこの体制は脆弱だったと。
岩本先生: 命を脅かされることなく、安全に産むという意味では、日本の周産期医療は優秀です。しかし「女性を痛みから解放する」という意味においては、遅れていると言わざるを得ません。
そしてそのような体制がないから、産科医も無痛分娩の経験を積むことができない。自分が経験していないから、無痛分娩のメリットを実感することができず、妊婦さんにも勧めることができない。結果として、患者さんが無痛か自然で迷っているケースで、産科医は「自然分娩でいいのでは」という説明になりがちなんです。
――こうした状況は、今後変わっていくのでしょうか?
岩本先生: 一朝一夕には難しいとは思います。日本全国、少なくとも各地域の主要都市で当たり前のように無痛分娩ができるようになるには、もう少し時間がかかるように思います。
ただ、確実に流れは変わってきてはいます。特に東京では無痛分娩のニーズが顕在化 してきているので、この5年以内で新たに無痛分娩をはじめるクリニックが都内では続出しています。つまり無痛をしなければ、患者から選ばれないことを意味している。これは本当に大きな変化です。
「出産に痛みはいらない」 ――これはのべ1万人以上の分娩に立ち会ってきた私がたどり着いた結論でもあります。そして、日本の女性も以前よりもその意識を持ち始めている。あとは社会がそれをいかに後押しできるか。それは出産時の痛みを当たり前だとする価値観を変えていくことかもしれないし、無痛分娩にも補助金を出すなど制度設計を見直すことかもしれない。
とにかく出産に「痛みのない」という選択肢を、それを望む女性がとりやすい社会にすることが大切だと感じています。
大阪府出身。早稲田大学政治経済学部卒業後、長崎大学医学部に進学。同大卒業後、同大医学部附属病院産婦人科に入局。関西医科大学医学部附属病院(麻酔科/新生児科)、田附興風会北野病院、一佑会藤本病院(産婦人科・部長)勤務を経て、2019年6月17日に『スワンレディースクリニック 』を開院。著書に『出産に「痛み」はいらない』(幻冬舎)がある。