やすのり先生の子育て回顧録(2)
ママのいない父娘暮らしは23年続いた!

米国でイクメン以上のスキル磨く

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そして、単身アメリカへ。ここが、僕の転機になります。自立を覚えたわけです。それまでは、子どもの面倒をみていただけ。お守をしたり、おしめを替えたり、おしめを洗ったり、保育園の送り迎えをやったり。余談だけど、昔、おむつって布だったから大変だった。まずね、汚れたものをトイレの水のたまっているところで流してね、それを洗濯する。すごいでしょ(笑)? ま、そんな感じで、1日2時間半から3時間くらいは子育てに費やして、今のイクメンくらいのことはやっていた。けれど、自立していたわけじゃないんです。

アメリカに行きたくなかったいちばんの理由は、食事。和食が好きで、自分は料理ができないから、アメリカなんて無理だと思った。けれど、料理をしなくてはいけなくなった。そのうえ、洗濯も掃除も全部しなくてはいけない。一人で2年半暮らしたことで、自立せざるをえなかった。これが僕にとってはすごくよかったんですね。

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夏休みに3人でカナディアンロッキーに旅行へ。
長女5歳のとき。

僕がアメリカへ来てから1年後に、女房と娘がやってきて、また3人での同居生活が始まりました。5歳の娘を保育園に入れて、夫婦交代で毎日送り迎えして。娘を迎えに行くと、「今日も楽しかった~」なんて言うんだけど、夜になると「明日は保育園行きたくない」って泣いてね。子どもだからといって、すぐに慣れるわけではありませんでした。けれど、家族が同じところで暮らしていた中で、いちばんいい時代でしたね。夫婦そろってパーティーに出かけたりもしましたよ。

また、その頃の日本では皆無といってもいいほどでしたが、保育園に男親が行くのも、夫婦で買い物をするのも、それがアメリカでは普通で、当たり前なのだと思えたこともうれしかったですね。

だから、先に女房と娘が日本へ帰ったときは、さびしくて。昔はメールなんてないから、ときどき届く娘の手紙が楽しみでした。その手紙に、「雲を見るとパパを思い出します。パパも同じ雲を見ているのかな」なんて書いてあると涙がこぼれてね。あんなにさびしい思いをしたのは、それ以降もないです。

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