気をつけたい妊娠中の感染症と赤ちゃんの「TORCH(トーチ)症候群」

新型コロナウイルスの世界的流行で、私たちは改めて感染症の怖さを再認識させられております。感染症とは、環境中にある病原性の微生物(細菌、ウイルス、カビ、酵母など)が、人の体内に侵入することで引き起こす疾患です。人が日常生活をすごす上で、無菌状態にすることは不可能であり、実際私たち身の回りには、常に目に見えない多くの微生物が存在しているのです。

今回のテーマは感染症。特に、プレママが感染するとおなかの赤ちゃんの先天性異常につながる可能性のある「TORCH(トーチ)症候群」について、慶應義塾大学名誉教授で産婦人科医の吉村泰典先生に伺いました。

胎児感染が引き起こすTORCH(トーチ)症候群とは

妊婦のママに抱きつく子ども

――コロナウイルスが世界的に流行しており、不安を抱えているプレママ・プレパパ、子育て中のママ・パパも多いことかと思います。

吉村先生:そうですね。新型コロナウイルスはまだよくわかっていないことも多いのですが、これまでのデータを見る限り、今の日本で暮らしているみなさんが過度に怖がる必要はないだろう、というのが僕の考えです。もちろん“正しく怖がる”ことは大切です。屋内の閉鎖的な空間で、人と人とが至近距離で、一定時間以上交わることによって、患者集団(クラスター)が発生する可能性が示唆されているので、そうしたところには妊婦さんは行かないこと。そしてこまめな手洗いとアルコール消毒をしていただければと思います。

――そうですね。さて、今回はプレママにとって注意すべき感染症がテーマなので、それについてお聞きしたいのですが。

吉村先生:やはり妊婦さんが感染することで胎児にまで影響が及ぶ可能性のある感染症は注意が必要です。胎内感染によって引き起こされる疾患は「TORCH症候群」と呼ばれており、トキソプラズマ症(Toxoplasmosis)、風しん(Rubella)、サイトメガロウイルス(Cytomegalovirus)、単純ヘルペス(Herpes simplex virus)とその他の感染症(Others/りんご病、梅毒など)の頭文字を組み合わせた言葉です。これらの病気に妊婦さんがかかると、ご自身の症状は軽くても、おなかの赤ちゃんへの感染で流産・早産になったり、心臓、眼、耳などに重い疾患が残ることがあります。それではTORCHの特徴と対策を疾患別に説明していきましょう。

 

〈先天性風しん症候群〉

吉村先生:先天性風しん症候群は、TORCHの中でも一番よく知られているのではないでしょうか。風しんは“三日ばしか”と呼ばれるように、かかっても軽い風邪のような症状の人が少なくないのですが、妊娠初期に感染すると、おなかの赤ちゃんが先天性心疾患や白内障、難聴などになってしまうことがあります。妊娠中期の感染では難聴だけがでてくることもありますが、仮に妊婦さんが感染に気づかないまま治ってしまうと、赤ちゃんの難聴の原因として気づかれない、ということもあり得るんですね。一言で先天性風しん症候群と言っても、症状も障害の程度もさまざまだということは知っておいてください。

――新型コロナウイルスと違って風しんにはワクチンがありますよね。ワクチンを打っても防げないということでしょうか?

吉村先生:いえ、ワクチンを打てば防げます。しかし風しんのワクチンは「生ワクチン」なので、妊娠中は打てません。なので、妊娠前に必ず抗体を持っているかどうか調べておく必要があります。

――自己防衛が必要ということですね。

吉村先生:はい、残念ながら。アメリカ疾病予防対策センター(CDC)は、風しんにかかるリスクがあるとして、妊婦さんへの日本への渡航に注意喚起を出しているほどです。つまり日本は風しんを撲滅できていないんですね。なぜか? この日本には抗体を持たない人でも、ワクチンを打っていない人が残念ながら一定数いるからです。具体的に言うと、昭和37年度から昭和53年度生まれの男性は一度も定期接種をする機会がなかったため、抗体保有率が非常に低く、この層が“クラスター”となって、2000年代半ばから、数年おきに流行が繰り返されている状況です。お父さんが職場で感染して妊婦さんにうつしてしまい、その結果赤ちゃんが先天性風しん症候群にかかってしまった例も報告されています。

赤ちゃんに添い寝するママ

――ワクチンを打てば防げるというのに…悲しいことです。一方で、国では“パパ世代”の風しんワクチンの接種を推奨しており、抗体検査とワクチンが受けられる「無料クーポン」が配布されておりますね。

吉村先生:そうです。自分の家族だけでなく、周りの人とその家族のためにも抗体検査・予防接種は必ず受けていただきたいですね。また妊娠を考えている女性も風しんの抗体検査を受けておくと安心です。風しんワクチンは抗体を作りにくいので、2回接種する必要があるのですが、なにかの事情で受けられず、ウイルスからからだを守るための抗体の強さ(抗体価)が十分でない人もいるのです。妊娠してからでは予防接種を受けることはできませんから、妊活をすることになったら必ず受けてください。

――妊娠したら予防接種を受けられないのですか? インフルエンザは妊娠中でも受けられますよね?

吉村先生:インフルエンザの予防接種は感染力を持たない「不活性化ワクチン」ですから、妊娠中でも打てますが、風しんのワクチンはウイルスの毒性を弱めて作られた「生ワクチン」のために妊婦さんは受けることができないんです。風しんの感染者数は2018年、2019年と非常に多くなっています。2020年は新型コロナウイルスの影に隠れて目立ちませんが、3月4日現在ですでに56人の感染が報告(※1)されています。日本から風しん感染を撲滅しない限り、先天性風しん症候群の不安はなくなりませんから、対象のパパ世代には必ず予防接種を受けていただきたいです。風しんの予防接種については政府広報オンライン「風しんの予防接種にご協力ください」にも詳しく取りあげられていますから、参考にしてください。

 

〈トキソプラズマ症〉

吉村先生:トキソプラズマ症は、猫の糞(ふん)や生肉・加熱が不十分な肉に含まれる原虫が原因となる感染症です。妊婦さんにはあまり重い症状は出ないのですが、妊娠初期にかかってしまうと流産や死産、生後の発達障害につながる恐れがあります。中期以降でも視力障害を起こすこともあると言われています。

――猫のウンチに感染源があるかもしれないんですね…猫好きの妊婦さんにはつらいお話です。生肉を食べるのも我慢しなければなりませんね。

トキソプラズマ症

吉村先生:本来なら妊娠前後は猫を飼わないのが望ましいですが、すでに一緒に暮らしているなら、妊娠がわかった時に医師に猫がいることを話して、トキソプラズマの抗体価を調べてもらうといいでしょう。すでに抗体があれば心配はいりませんが、念のために妊娠中は猫のトイレの掃除などはご主人に頼んだり、肉にはちゃんと火を通すなど、充分に気をつけてください。

――猫を飼っているなら検査は必須ですね。

吉村先生:妊娠して初めてトキソプラズマ症に感染した場合には、抗生剤を服用して治療します。早めに治療すれば赤ちゃんへの感染率を半分以下にすることができます。また万が一生まれてきた赤ちゃんが感染していたら、服薬治療を行うこともあります。

 

〈サイトメガロウイルス〉

吉村先生:TORCH症候群の中でもっとも発症数が多いのがサイトメガロウイルスによる胎内感染です。感染すると難聴、発育不全、小頭症などを起こすことがありますが、特に多いのが難聴で、幼児の難聴のうち4分の1が、サイトメガロウイルスが原因と言われています。

――そうなんですね。あまり聞き慣れない病名だったので、さほど意識したことがありませんでした。

吉村先生:サイトメガロウイルスは世界中のどこにでもあるありふれたウイルスで、ほとんどの人は母乳や尿、血液を介して乳幼児期に感染し、抗体を持っています。感染しても軽い症状で終わることが多いのですが、妊娠中に初めて感染した人や免疫力がひどく低下している場合は、おなかの赤ちゃんも感染してしまい、障害が残ることがあるんです。

――感染を避けるためにはできることはありますか?

吉村先生:このウイルスは乳幼児の唾液や尿に含まれているので、妊娠中は、上の子のおむつ交換や食事の世話の際には特にこまめな手洗いを心がけましょう。石けん、アルコール、漂白剤などに弱いので、そういったものを利用したほうが良いでしょう。

 

〈単純ヘルペスウイルス〉

吉村先生:これは性器ヘルペスの原因となるウイルスで、ごくまれに胎内感染で小頭症などの先天性感染症を起こすこともあるのですが、一番の問題は、出産の際に産道で感染して新生児ヘルペスになってしまうことです。新生児ヘルペスは命にかかわる病気ですから、妊婦さんの産道にヘルペスが見つかったら、帝王切開で出産することになります。

TORCH症候群

――治療はできないんですか?

吉村先生:早めにわかれば、妊娠中に治せることもあります。これも抗体検査ができますから、受けておいたほうがいいでしょう。

 

〈伝染性紅斑症(りんご病)〉

吉村先生:TORCHの中のOthers(その他)に含まれる伝染性紅斑症は、両頬に赤い発しんが現れることから、りんご病とも呼ばれています。パルボウイルスB19が原因ですが、妊婦さんが感染すると約4分の1が胎内感染すると言われていて、まれに重症胎児貧血や新心筋障害を起こし、胎児水腫や流産・死産の原因になることがあります。

――りんご病って幼児の感染症というイメージですが…

吉村先生:そうですね。最近も4~5年周期で保育園、幼稚園などで流行していて、幼児は風邪のような症状でおさまるものです。日本人妊婦の抗体保有率は20~50%(※2)と低く、ワクチンや治療薬はありませんから、妊婦さんは飛沫感染、接触感染に充分気をつけていただきたいです。胎内感染で胎児貧血が起こっていることがわかると、胎児への輸血などの処置が行われることもあります。

 

〈梅毒〉

吉村先生:梅毒は梅毒トレポネーマという病原体によって引き起こされる感染症です。妊婦さんから梅毒にかかると、赤ちゃんも先天梅毒になってしまうことがあり、流産・早産のリスクや発達障害につながります。

――最近、感染者が増えているんですよね?

吉村先生:感染の拡大を懸念している厚生労働省は、妊娠がわかった時に梅毒の検査を行うように医療機関に指導しています。ただ検査後に感染する可能性もありますから、ご主人と一緒に抗体検査を受けるといいでしょう。

――治療法はあるのですか?

吉村先生:感染がわかれば服薬で治療できます。胎盤が形成される妊娠16週までに治療しておけば、赤ちゃんが先天梅毒になることはありません。妊娠の可能性があるなら早めの検査をおすすめします。

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