浜口先生:共感力をもとに内面で育つ思いやりや意欲、好奇心などは、最近「非認知能力」とも呼ばれています。どれくらいあるのか、育ったのかなどを数値で測ることができない、つまり認知できない能力という意味です。
――「非認知能力」は、幼児教育の世界でもよく聞きますね。
浜口先生:それに対して、IQ(知能指数)や学力のようにテストで点数や到達度を数値で表せるものが「認知能力」です。知識やスキルを教える教室や習い事は、基本的には「認知能力」を伸ばす場だと考えられます。
先ほど、「読み書きや計算を『人より早くできるようにさせる』ことに、大きな意義はないのではないか」と申しましたが、それはこうした能力自体は学童期以降でも伸ばすことができるもの、というのが理由のひとつ。もうひとつの理由としては、「非認知能力」を幼児期に十分育てることこそが、学童期以降の「認知能力」(学力など)を確実に根付かせ、その人の基本的な強さになるからです。
――なるほど! そういう意味では、「非認知能力」は幼児期に伸ばした方がいい、ということですか?
浜口先生:そうですね。「非認知能力」という言葉自体は新しいのですが、幼児教育の現場では以前からそういった能力の重要性に気づき、育てる努力がなされていました。ただ、見えにくい、測れないものですから、客観的な評価が難しかったために、(幼児教育の世界以外では)さほど注目されることはなかったのです。しかし米国シカゴ大学の教授で、2000年にノーベル経済学賞を受賞したジェームズ・ヘックマン教授が「非認知能力」の重要性を解いたことで、一躍脚光を浴びることになりました。
――ヘックマン教授は経済学者ですよね。どうして経済学者が幼児教育の「非認知能力」について発信したのでしょうか?
浜口先生:そこはとても経済学者らしいというか、ある意味ドライな視点なのですが、ヘックマン教授は効率の良い教育投資によって社会的適応力のある人間を育て、よりよい納税者を増やして社会を豊かにするための研究をしていたと言えると思います。
乳幼児期に幼稚園などで「非認知能力」が育った人は、その後の勉強や仕事、社会生活に必要な能力を備えていること、「非認知能力」は「認知能力」の習得にも影響を与えることを説き、「非認知能力」の重要性を経済学的に主張したのです。それまでの教育的投資は、勉強を教えること、つまり「認知能力」を育てることだけを目的に行われていましたから、「非認知能力」を育てなければ教育の(費用対)効果は期待できないことを説いたヘックマン教授の研究は世の中に大きな衝撃を与えたんです。
――「非認知能力」が測れないものであるなら、ヘックマン教授はどうやって世間に「非認知能力」の重要性を証明したのでしょう?
浜口先生:ヘックマン教授が使ったのは、アメリカのミシガン州で1960年代から行われた、幼児教育プログラムを受けた人と受けなかった人を長期的に追跡した比較調査です。同調査では、幼児教育を受けた人は40歳時点で、受けなかった人より収入が多く、持ち家率が高く、生活保護受給率や犯罪率は低いことがわかりました。そこで教授は、幼児期に育った「非認知能力」が教育の成果や生き方に影響を与えると結論づけたのです。
――「認知能力」を上げるためではなく、「非認知能力」を豊かにするための幼児教育の有無がポイントなのですね。
浜口先生:社会が経済優先の度合いを深め、情報化が進んだ20世紀末ぐらいから、欧米の研究者はそれまでの「認知能力」を育てる教育が効果を上げていないことに気づき始めていました。そうした背景もヘックマン教授の研究が世の中に受け入れられた下地になったのだろうと思います。デジタル化、グローバル化などの急激な変化の一方で、環境破壊により持続可能性が問われるようになった社会の中で求められる21世紀型の知力には、乳幼児期に育まれる「非認知能力」が不可欠だろうと思いますよ。