
I:いい塩梅の好奇心が望ましいとして、仮にそのレベルを「これなに?」、「どうして?」と何にでも興味持つ子どもに置いたとします。それくらい、いろんなことに「なぜ」を感じるような子って、学ぶことに対しても積極的になるのかな、と思ったりするのですが。
高橋先生:それは好奇心の強弱ではなく、口に出して大人に質問するか、しないかの差にすぎないのでは。好奇心って、内なるものですよね。「あれ?」と思う気持ちが好奇心です。「なぜ?」と大人に質問をしないからといって好奇心が弱いということにはならないのでは。
子どもは興味のわくものを見つけると、もっと知ろうとします。うちに秘めて考える子もいるし、質問する子もいる。そして、積極的に質問してくる子は学びにも積極的であるという印象を受けるかも知れない。しかしそもそも、好奇心の強い子どもが学びの力も強いかと言うと、そうとも言い切れないのでは。おそらく “対象物”をただただ面白い、不思議と感じているだけかもしれません。それが子どもの成長にとって、とても大切なんですが、学ぶ力と結びつける必要はないのでは。

I:つまり、好奇心が強いからと言って、すなわち学びに積極的ということにはならないと?
高橋先生:そう思います。親が期待する「学び」ってなんでしょう。好ましいと思っていることに子どもが好奇心を抱いてくれると、親は勝手に「学んでる!」と喜んだりしていませんか?もっというと、好奇心の対象が「勉強」に向かってくれればいいな、と思ったりしていませんか?それは余計なお世話というものです。
もちろん好奇心の結果として多くのことを知り、身につけた知識がまた好奇心を刺激するという“いい循環”が生まれ、それが結果的に学びにつながることはあるでしょう。けれど、それだって親がお膳立てするようなものではないと思います。子どもの純粋な好奇心を学ぶ力につなげていきたいなら、好奇心を発揮する場面を減らさないように、放っておいたほうがいいでしょうね。