妊活から出産、子育てまで 
横澤夏子が語る “追い込み婚”、その後のお話
Vol.1「最初の妊活」

2022.09.22

ミキハウス編集部

2017年7月。28歳の誕生日に結婚し、29歳のときに第1子を妊娠、そして出産したタレントの横澤夏子さん。書籍『追い込み婚のすべて』では、100回以上も婚活パーティに通い、ターゲットを絞り、文字通り“追い込む”ことで結婚を実現したエピソードを、ユーモラスに描かれています。

恋愛〜結婚ではある意味、戦略家の一面も持つ横澤さんですが、妊娠や出産、そして子育てについて、どのような価値観、プランをお持ちだったたのでしょうか? 今回、ミキハウス妊娠・出産・子育てマガジンでは「“追い込み婚”、その後のお話」をテーマに、妊活から出産、子育てに至るまで横澤さんのリアルに迫ります。Vol.1のお題は「最初の妊活」です。
【取材日 2022年8月某日@東京】


《プロフィール》
横澤夏子
よこさわなつこ。1990年7月20日生まれ、32歳。新潟県出身。高校卒業後、NSC東京校に入学。2011年、2015年の「R-1ぐらんぷり」では準決勝に、2017年は決勝に進出するなど一流芸人として活躍。プライベートでも2017年7月20日、28歳の誕生日に結婚を発表すると、2020年2月に第一子を出産、翌年10月に第2子を出産。現在は二人の子どもを子育てしながら、タレントとしても活躍中。本サイトの人気連載コラム「なっちゃんの子育て日記」では、日々の子育ての様子を綴っている。

 

結婚したら子どもは自然とできるものだと思っていました。

――いつも連載コラムを執筆いただいている横澤さんですが、妊娠や出産など過去のご経験についてお聞きしたことはありませんでした。今回はお時間をいただいて、じっくりお聞きしたいと思っております。

横澤夏子さん(以下、横澤):はい、よろしくお願いします!

――まず結婚前の横澤さんの妊娠・出産に対するイメージからお聞きしたいと思っています。自身のなかに明確な出産計画みたいなものがあったのか、それとも「●歳くらいで産めたらいいな」みたいな感覚だったのか、それとも特に考えてはいなかったのか…どれに近かったのでしょうか?

横澤:そうですね、早く子どもは欲しかったんですけど、今思うと妊娠に対する知識がなかったというか、意識は低かったと思います。だって、結婚したら自然とできるものだと思っていましたから。“ブライダルチェック”なんてものがあることも知らなかったですし。

――ブライダルチェックとは結婚前に、妊娠を望む女性が受ける婦人科検診のことですね。

横澤:はい。私は結局、約1年半の間「妊活」をすることになるんですけど、当時は自分が当事者になるなんて思ってもいませんでした。そして妊活の期間はすごく悩みましたし、とっても辛いものでした。


――そうだったのですね。ご結婚が2017年7月で、最初のご出産が2020年2月ということ、またご結婚されたのも20代でまだお若かったので、はたから見ると順風満帆というか、少なくともそのようなお悩みを持たれているとは思っていませんでした。

横澤:それは妊活をしている時に結構言われましたね(苦笑)。「若いからいいよね」「まだ大丈夫よ」とか。たしかにそうかもしれないんですが、そういう言葉をかけられた後、「私が悩んでいるのはそこじゃないんだよなぁ」って気持ちがいつもありました。妊活している人たちの悩みはそれぞれで、みんながいろんな壁にぶつかっていて、孤独に戦っているんですよね。

――なるほど。たしかにそれぞれの事情、背景が違うし、本当の悩みも知らずに「若いんだから大丈夫」と言われても…ですよね。悩みはそれぞれで、みんなが孤独に戦っている。横澤さんにとっても、妊活は孤独なものだったのでしょうか。

横澤:もちろん夫と二人三脚でやってきましたし協力的でしたけど、どこかでそういう感覚はありました。だから、私からしたら妊活は、本当に長いものでしたね。もっともっと長い期間、頑張られている方もいらっしゃるので表現が難しくもあるのですが、それが私の本音ですね。

 

妊娠することって“奇跡”なんだ。

――辛くて長かったという妊活。思い出させることにもなるかもしれませんが、改めてどのようなものだったのか、詳しくお聞かせいただけますでしょうか。

横澤:結婚して最初の数か月で全然できなくて「あれれ」おかしいなと。できるものだと思っていたから、なんでだろうと。当時、妊活という言葉は当然知っていましたけど、自分事にはできていなかったんですよね。

それで、これはちょっと専門医に診てもらった方がいいんだろうなということで、わりとすぐにクリニックに通うことを決めました。たしか結婚した5か月後に、クリニック通いをはじめています。ただクリニックで「現実」を突きつけられてしまい…。

――現実、ですか。

横澤:はっきり「時間がかかるでしょう」と。先生のその言葉は、グッと来るものがありました。


――少し前まで「自然とできるだろう」と思っていたからこそ、なおさらですよね…。

横澤:結婚前はどうしたら妊娠できるのか、なんて話を周りの人ともほとんどしたことありませんでしたから。タブーだったわけではないと思うんですけど、なんか話す機会がなかったです。

そこからですね、妊娠に対する知識を積んでいくのは。こんなに大変なことだとは思ってもいなかったし「妊娠って奇跡じゃん!」ってことをどんどん知るわけです。本当、その事実をもっと早くから教えてほしかったというのはありますよ(苦笑)。そこから食生活やら日常の習慣を見直すようにしました。

――さて本格的に妊活がスタート。妊活カップルあるあるですが、パートナーとの温度差があって妊活がうまく進まないという話はよく聞きます。横澤さんのところは、いかがでしたか?

横澤:うちは大丈夫でした。思うに、最初にクリニックに二人で行って、先生の話を一緒に聞いて知識を増やしていったことがよかったのかなぁと思います。やっぱり妊活は二人でやらなきゃいけないから、自分だけが前のめりでもダメじゃないですか。だから院長先生に最初に会わせるのがいいだろうということで、親に会わせるような感じで、最初から会って話を聞いてもらったんです。


――スタート時点に立ったとき、お互いの意識を一つにするのは重要ですよね。

横澤:そう思います。だから、クリニックはなるべくパートナーと一緒に行くのをオススメします。もちろん仕事の都合で難しいかもしれないけど、結局、女性だけが行って先生からいろいろ教えてもらっても、その知識を伝書鳩的に持ち帰ってもちゃんと伝わらないと思うんです。

――横澤さんのところもいわゆる“共働き”ですが、二人のスケジュールをあわせるのって大変ですよね。通院するとなると、コンスタントにあわせなきゃいけないからなおさらで。横澤さんの場合はテレビに出るお仕事で、それこそ調整するにしても難しい部分もあったと思います。

横澤:いや、私は恵まれていたと思います。仰るとおり、妊活を本格的にするとなると、通院やらなにやらで、結構スケジュール調整が必須になってくるんですよ。だから、妊活をはじめるとき、まずマネージャーに伝えて、以降は妊活中心のスケジュールにしてもらいました。

でも、世の中の働く女性は、そんなに個人で調整ができないお仕事の方もたくさんいらっしゃると思うんです。妊活をしていることをそんなに公にできなかったり、「その程度のことで休むの」という意識がまだあるような職場だと、まぁ言えないですよね。

とはいえクリニックに行くと平日の昼間なのに、たくさん女性が来ているんですよ。どうやって時間をつくっているのか不思議でした。多分、大変な苦労をされているんじゃないかなぁ。


 

妊活中は友だちの妊娠報告もマタニティマークを見るのも嫌でした。

横澤:あと妊活中は毎月、“結果発表”があるのも辛かったですね。いろいろ試して、夫婦で頑張って、《さぁ結果発表です!! ………今月も残念でした》、となるのが本当にきつくて。

その前段階として、いろいろな“予兆“があるんですけど、これは「PMS(月経前症候群)」なんだろうか、それとも妊娠しているの? とか、ずっと心が揺さぶられている状態でした。

――妊娠超初期症状とPMSはとても似ていると言われていますものね。妊活の情報はどうやって得ていましたか?

横澤:当初はネットが多かったですかね。ネットの場合、いろんな情報が転がってるじゃないですか。で、あるサイトで不妊の条件みたいな記事を読んでしまったんですよ。それがもう自分に当てはまってたりしていて、「ああ、やっぱりできないんだ」とどんどん深みにハマってしまって。


――ネットでは医療情報も玉石混交ですから…。我々もそこはいつも気をつけて取材をしていますが。

横澤:精神衛生上、よくなかったですね。だからネットで情報をあさらないようにして、クリニックの院長先生のブログだけを読むようにしました。とにかく妊活中はストレスが一番ダメですよと先生から言われているのに、それはとても難しいことでした。ストレスを感じないようにしないと、と思うことがまたストレスになったり。

――ネガティブループに陥ったわけですね。

横澤:ええ。大げさではなく、できない時期が続けば続くほど、自分だけが取り残されているのを感じました。同時に他人を羨む気持ちがどんどん大きくなって、そういった負の感情が芽生えるたびにメンタルが追い込まれていきました。

たとえば友だちや芸能人の方の妊娠報告のインスタやニュースを見るだけで落ち込んだり、街でマタニティマークを付けている女性を見るだけで気持ちが塞いだり。「別に私、知りたくないんだけど、なんでそうやってアピールしてくるの?」って。

――妊娠報告もマタニティマークも、そういう「意図」ではないにも関わらず、どうしてもそう受け止めてしまう自分がいた。

横澤:そうなんです。そして、そんな自分に嫌悪感を覚えたり。気持ちの余裕が一切なくなっていきました。私、妊娠中にマタニティマークを一回もつけなかったんですけど、それは妊活中の自分の辛さがあったからなんです。

もちろん自分が過剰になっていることはわかっているんです。ただ、「私、妊娠できたんです」とまるで高らかに宣言しているように感じてしまう“過剰な人”がこの世の中にいるということを、自分自身の経験で知ってしまった。だから、やっぱり付けられなかったんですよね。


横澤:私の妊娠報告もギリギリまでしない方向で進めていましたが、することになってしまい公表したとき、結構トゲトゲしいDM(ダイレクトメール)を送ってくる方もいました。ちょっと内容は言えませんが…でもそれを言いたくなる気持ちも私はわかってしまって。辛いよねって。そして送った後に、自己嫌悪に陥るんだろうなって。

――そのようなDMを送ることになるほど追い詰められていたのだとすると、なんとも言えない気持ちになりますね…。

横澤:私自身がそうでしたからね。あのとき、「あぁ、自分がこんな感情になるんだ」ってことを知りましたもん。そして(他人の)いろんな言葉が気になりはじめるんです。悪気ない言葉でも反応はしちゃったりしました。「子ども欲しいんだっけ?」ぐらいのことでも「欲しいに決まってんじゃん!」ってちょっと喧嘩腰になったり。

でもよくよく考えるとそれって普通の会話なんですよ。でも、妊活中は普通のメンタルじゃないから、そういう反応になってしまう。そういう経験があるから、子どものいない女性に何気ない言葉含めて、妊娠に関する話を私からすることは今もありませんね。もちろん、そういう話を求められたらお話はしますが。


――悪気ない言葉でも誰かを傷つけるってことは、妊活以外のシーンでもありますけど、やっぱりより自覚を持って話す必要があるのでしょうね。ちなみに横澤さんは妊活中に負の感情が溢れ出しそうになったとき、どのように対処されていましたか? 

横澤:とにかく自分自身を嫌いにならない方法を模索するしかなかったですね。自分のことを認めてくれる人とおしゃべりをするとか。私は幸運なことに、すべてをさらけ出して話をして、それを包み込んでくれる友人がいたから、すごく救われたんです。「いやいや、わかるよ。私もそうだったから」っていつも言ってくれて。

――そういうときは正論を言ってほしいわけじゃなくて、認めてほしいんですよね。

横澤:そうなんですよ! 「そんなこと考えちゃダメだよ」とか言われたら…もっと追い込まれていたでしょうね。本当にどうしようもなくダメになった自分を受け入れてくれる人が一人でもいたら、その人が孤独から救ってくれると私は思います。

私は最初の子を妊娠するのに1年半かかりました。もっと苦労をされている方もたくさんいらっしゃる中で、そういう方々と比較すれば“短い時間”かもしれませんが、毎日妊活のことで頭がいっぱいの中で生活をする期間は本当に長く辛いものでした。そしてその期間に、妊活をしている女性がこんなにもたくさんいること、そこでそれぞれの悩みを抱えて、孤独な思いをしていることを知りました。

妊活はこうだよ、こうすればいいよ、みたいなことは軽々しく言えませんが、これから妊娠を望む方、妊活をされている方は、パートナーでも、友人でも、家族でも誰でもいいから、すべてを受け止めてくれる、支えてくれる人を見つけてほしいと思います。そして、どうか自分のことを嫌いにならないようにしてほしいと思っています。


撮影:今井裕治

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