I:マスク云々よりも影響を及ぼしそうなのが、人と人の関わり方です。小学生などもお友だちの家との行き来が少なくなり、それ以前まで当たり前にあった“密”な付き合い方が、この3年間はほとんどできなかったように思います。これがある意味で子どもたちにとっての“スタンダード”になってしまうとしたら、という不安を持つ方もいるかもしれません。
高橋先生:しかるべき時期に、しかるべき対人コミュニケーションができなかった。だから、将来が不安だと。
たしかにこの3年は大変でしたし、コロナ前のような日常生活が続いていたとしたら、何かが変わっていたのだろうか、と思うこともあります。でも、私たちはみんなよくがんばりました。それでいいんじゃないですかね。心配するお気持ちもわかります。ただし、大人が勝手に「コロナ時代に育った世代」みたいに子どもたちにタグ付けしてしまうのは、仮に子を思う親心だとしても、よくないと思うんです。
I:なるほど。「コロナ時代に育った世代」は事実ではあるけれども、そこにネガティブなニュアンスを持たせるのは違うと。
高橋先生:はい。あくまで架空の話ですが、「小学校時代にコロナを経験した世代は犯罪に走りがちだ」「それは幼少期に人の気持ちに触れることが少なかったからである」みたいなことをメディアが“専門家の意見”と称してセンセーショナルに報じたら、「そうなんだ!」って思われる方も少なくないかもしれません。私から言わせれば、その手の“余計な心配”って多くの場合、根拠に乏しい思い付き、言いがかりのようなものなのです。そういった報道に触れて実感として正しいと感じたら、それは「コロナは子どもたちに何かしらの傷を残しているはずである」という強い先入観の表れだと思うんです。
高橋先生:かつて「ゆとり世代」がいろいろ揶揄されたこともありました。ゆとり教育の結果、彼らはこんなこともできない、といった思い付きのような言説をよく耳にしました。あれも相当にバイアスのかかった見方であったと思います。世代が変われば行動パターンや考え方が、他の世代とちょっと違うということは当たり前のことです。教科書の内容が変わったために世代まるごと知的レベルが劣る、なんてことにはならなかったわけです。実態とかけ離れて、思い込みで「ゆとり世代」のみなさんを不当に低く評価していたのかなと。
I:仰るように「ゆとり世代」は、多くの場合、ネガティブな文脈で語られることが多かったですよね。
高橋先生:その世代の方々にとっては、とんでもない風評被害ですよ(苦笑)。それと同じようなことを、コロナでもやりますか? “マスク世代”とか“コロナ世代”などと間違っても言わないでほしい。実際、子どもはそんなことを引きずらないですから。大人が心配し、推論し、負の議論を展開すること自体は自由です。でも、そのような悲観論に元気な子どもたちを巻き込んでほしくはないですね。
I:その通りですね。うちの子は7歳と4歳で、コロナ禍になったのは上の子が年中に上がる直前、下の子はまだ1歳に成り立てでしたが、コロナの日常の中でも健やかに育っています。周りの子どもたちを見ても(もちろんそれは、自分の暮らすエリアの子どもですけれど)、それは同じような印象です。
高橋先生:世代や属性でその人物を語ったり、知った気になることの誤謬ってやっぱりありますよ。僕の同級生にもいろんな人がいますしね。同じ時代を生きたことによって共通の空気感をまとっていたり、同世代として共感できる部分は多々あったとしても、時代が人格を決めるわけじゃない。なんか今日はいつにも増して、当たり前の話をしているような気がしてきました(笑)。