I:興味の種は、実はそのあたりにたくさん転がっている。だとして、意識的に親がそれを目の前に置くことについてはどうお考えでしょうか?
高橋先生:どういう意味です?
I:転がっている興味の種にも大小あると思うんです。たとえばスポーツだけをとっても、野球やサッカーなどいわゆるメジャーなスポーツは、興味を持つきっかけがたくさん転がっています。テレビをつければプロから高校生などアマチュアまで、いろいろな層で試合をしていますしね。一方でややマイナーなスポーツの場合は、親なり周りの人なりがある程度意識をしてきっかけを与えないと、なかなか興味を持つこともないのかなと。
高橋先生:たしかにその通りですね。親自身が興味を持っていることを子どもにも勧めること自体はよいことだと思います。たとえばスポーツ一家に生まれた子は、“スポーツ遺伝子”を持っているもの。そして、その親がマイナースポーツの経験者だったり、大好きだったりする。そのスポーツをやらせるのは自然だし、正しい選択だと思います。なぜなら、その子もそのスポーツに興味を持ち、才能を開花させるチャンスがあるからです。親が好きなものは子どもも好きになる可能性が高いんですよ。
I:それが押し付けではなければ、ですよね。
高橋先生:はい、それは大前提ですね。
I:いろいろお話をお聞きしていると、環境の影響は大きいような気がしてきました。歌舞伎役者の家に生まれた子どもたちは2、3歳でも堂々と口上を述べたりするし、小さい頃から柔道とか卓球とかで頭角を現すような選手は、親御さんが指導者だったすることは多いですしね。
高橋先生:でも、それらは特殊な例ですから、どこの家庭にも当てはまるとは思わないことです。いずれにせよ親が「集中力がつきそうなスポーツだから」などという理由で、自分は体験したこともないし、それほど興味を持っているわけでもないことを子どもに押し付けるのはどうかと思います。もちろん、たまたま好きになることだってあるかもしれない。子どもが続けたがるなら続ければいいけれど、興味を持てなければやめさせるぐらいの気持ちの余裕は必要でしょう。「こんなにお金かけたんだから、もっと上手になるまで、せめて試合に出られるようになるまでがんばりなさい!」なんてことになると、子どもは親に命令されていやいやながらやっている状態なわけです。そのような状況で、興味がわいてきて、才能が開花するなんてことはあまり期待できません。
I:本人の意思がなにより大切なんですね。ただ、子どもがなにに夢中になるのかなんてわからないし、意外なこと・ものに興味を示すかもしれないじゃないですか。ということを考えると、子どもが興味を持てる「なにか」を見つけるチャンスは何度でも与えてあげた方がいいということでしょうか?
高橋先生:多分、正解はないと思います。ただ、チャンスは多ければ多いほどいいというものではありません。なんでもやらせればいい、バットを数多く振ればそのうち当たるというものではないということだと思います。
I:なるほど。
高橋先生:チャンスが多ければ、いずれ当たるかもしれない――たしかに確率論的にはそうなんだけれど、いっぱいありすぎると逆に感度が落ちるってことも考えた方がいいです。美味しそうなものがたくさん並んだバイキングに行くと、何を選んでいいのか分からなくなることがあるでしょう。あれと同じことが起きるんですよね。ですから退屈な日常の中でキラッと光るものを見つけたときの心のときめきこそが重要なんです。それを考えると、ママやパパも何でもかんでも、とにかくいっぱい見せてあげなきゃ、やらせてあげなきゃって心配する必要もないと思うんですよね。