I :ズバリ、お聞きしますが、幼児期の多言語化学習はおすすめしないですか?
高橋先生:そうですね…と言っちゃうと、「子どもの能力を摘むことになるぞ」とお叱りを受けるのですけど(苦笑)。
I :たしかに…。ただ以前、ある研究者が、“本当の意味で多言語を操れる人は、もともとそういう脳の構造をしていて、それは人口比で言うとわずかしかいない”と仰っていたのを聞いたことがあります。
高橋先生:おそらくそれは間違っていないでしょうね。急速に言葉の概念を学習する段階で、母語と異なるふたつ目の言語を、それも日常生活とあまり関連していない場面で覚えさせようとすると、ほとんどの子どもは混乱すると思います。たしかに、幼児期は言語習得のクリティカル・ピリオドですから、ものすごいスピードで吸収するでしょう。多くの子どもたちが、外国語をある程度は使いこなせるようにはなると思います。しかし、そのようにして獲得した“言語”が、本当の意味で「理解すること、考えること、伝えること」に役立っているのか疑問が残ると思います。
I :なるほど。グローバル化がますます加速する、これからの社会は英語が必須である…という話を耳にするにつけ、早い時期から学ばせることで楽にさせたいと思ってしまいがちですが、もしかしたら“落とし穴”があるのかもしれませんね。
高橋先生:そう思います。“お母さん”という存在を身に染みて感じ取っている子どもが、そのイメージを表現するために「おかあさん」という言葉を使うことに意味があるのです。英語の「mother」でもフランス語の「La mère」でも、ドイツ語の「Mutter」でもなんでもいいのですが、複数の言葉の“意味”を同時に習得させることは、大きな意義がないばかりでなく、何か大切なことを邪魔するような気がしてなりません。まずは母語をしっかり“体験させる”ことが大切だと思います。
I :そもそも、バイリンガルと一言で言っても、様々なレベルがありますよね。とりあえず読み書き出来ますよという人から、母語と同じレベルでディベートできるような人まで。
高橋先生:そうですね。母語と同じレベルで操れる人がどれくらいいるかはわかりませんが、一方で、あまり勉強しなくても5か国語とか話せる人がいますよね。あれはどう見ても素質、遺伝的な要因によるとしか思えない。努力でなんとかなるものではないと思います。僕みたいに素質がない人間は、どんなに努力してもバイリンガルは無理ですね。
I :でも先生は英語が話せますよね?
高橋先生:バイリンガルというレベルには程遠いです。仕事の都合でアメリカに6年間ほど暮らしていましたから、意思疎通や論文執筆のツールとしては何とか英語を使いこなせるようになりましたが、渡米前は全くダメでした。テレビの英会話番組ですら、全くついて行けなかった(苦笑)。何が言いたいかというと、幼児期にわざわざ学ばなくても、その時が来たら、目的に応じて外国語を利用できるようになれば、それで十分じゃないですかね。
I :たしかにそうですね。
高橋先生:ちなみにうちの娘は、2歳〜8歳までアメリカで暮らしていたんですが、向こうではペラペラ喋っていた英語を日本に帰ってきて半年で忘れました(笑)。日本語で考え、理解し、伝えるのが当たり前になって、英語は必要なくなっちゃったのでしょう。逆に言うと、外国語を日本で使っていくのは、特に子どもにとってはなかなか大変じゃないかと思いますね。
I : 一方で環境的に、完全に多言語で育つ子もいますよね。たとえばお父さんとお母さんが別々の言語を話すご家庭とか。
高橋先生:そのような環境で、子どもが二つの言語をどう使い分けているのか不思議です。そのあたりは言語学者の先生にお聞きするのがいいと思います。小児神経科医の僕から見れば、家庭環境が完全にバイリンガルという言語環境は、言語を習得しながら理解力・思考力を育む、という点ではハンデになるような気がします。もっとも、ハンデを背負っているのは決して悪いことではありませんね。ただ、乗り越えなくてはならない壁があるような。でもお母さんとお父さんが異なる言語を使っていたら、子どもはきっとどんなに高い壁も平気で乗り越えるのでしょうね。家庭ほど素晴らしい教育環境はありませんから。