I:先生のお話には全面的に共感しますが、やや視点を変えてお聞きしますね。より具体的な、ママ・パパ目線での質問となりますが、たとえば市販のスナック菓子。知り合いのご家庭で実際にあった話ですが、乳児期〜幼児期と、ずっと市販のお菓子は与えずに、自然素材を使った手作りおやつでがんばって育ててきたのに、子どもが小学校に上がって友だちの家で遊ぶようになった途端に、そこで市販のお菓子の味を覚え、大好きになってしまったと。あんなにがんばってきたのに、そのお友だちとの付き合いによって、すべてが台無しになってしまったと落胆していたんですね。これは、親としてどう受け止めたらいいのでしょうか(苦笑)。
高橋先生:受け止めるもなにも、それが現実ですよ。自分が大切にしていた価値観が、よそではまったく重要視されていなかった。別の価値観に触れて、それもまた正しいことかもしれないと感じた。それ以上でも以下でもありません。いいじゃないですか。それもひとつの経験であり、成長だと思いますよ。
I:う〜ん、それはそうなのでしょうが…。わが家の価値観が「ちょっと特殊」だった場合、それはいつか侵されるかもしれない。ということを覚悟したほうがいいと?
高橋先生:もちろんどんな少数派の志向や考え方も、社会性に反しない限りは認められるべきだと思いますし、これからも多様性の傾向は強くなっていくでしょう。お菓子も食事も手作りで外食はできるだけさせません、テレビは見せませんというご家庭がありますよね。和食を心掛け、箸を使うことをモットーとしております、というご家庭もあります。それらの習慣が悪いことだとは到底思えません。ただ現実、世の中の多くのご家庭は、市販のお菓子も食べさせるし、テレビも見せているし、ファストフードも利用している。それらもまた間違ったルール、悪い習慣とは言えないのです。個人の価値観を持つことはいいことだし、必要でもあるけれど、他人に押し付ける類のものではない。社会の大多数の価値観に、子どもが“染まっていく”ことに落胆することはないと思いますよ。
I:先生の言葉をお借りするなら、それが現実ということですね。食べ物に関しては、こだわっている家庭も多いし、それこそこれからは菜食主義やヴィーガンの家庭も増えていくかもしれません。そうなると社会の考え方も変わっていくのでしょうね。
高橋先生:そうですね。子どもを育てる上での具体的なルール作りというのは、いずれにせよ「親心」からくるものですよね。良かれと思ってやっているうちは許容範囲かなと思います。ただそれにしても、それは「あなたの親心」であって、他の家庭にはそこなりの親心があるということはわかってほしいと思います。
I:そうですよね。自分として「正しい」と思うことをしていても、それが誰にとっても正しいとは限らないわけですし。それぞれが「正しい」と思って子どもと向き合っているわけですからね。
高橋先生:一点、お伝えしておきたいのは、それぞれが志向する「正しさ」にも限度があるということ。特に食べ物に関しては許容範囲を超えないように注意が必要です。たとえば、病院に来る子どもの病気でとても多いのが食物アレルギーですが、アレルギーを恐れるあまり、子どもに与える食事のレパートリーをむやみに制限してしまうママ・パパがいるんです。あれもダメ、これもダメと。結果、子どもが重い栄養失調になることがあります。そうなると親心も仇(あだ)となりますね。
I:以前、行きすぎた健康志向の人を揶揄(やゆ)する「健康のためなら死んでもいい」というパワーワードが一部で話題になったことがありましたが、子どもに対してそれをやってしまうと問題がありますね。
高橋先生:そうなんです。親が子どものためによかれと思ってしたことでも、それが極端に偏ったもので、子どもの心身の健康を脅かすものだったら、それはもはや「虐待」です。ところで以前、自然派のママに「マクロビ」という言葉を教えてもらったことがあります。お子さんは命にかかわる拒食症でした。僕が「初めて聞きました」と答えると、信じられないという顔で「穀物や野菜などをベースとした食事法ですよ」と説明してくれたんです。その上で、医師であればそうした「正しい食事」を子どもにも与えるように指導すべきじゃないですか? と問いただされたんです。僕は「どっちでもいいと思います」と答えたんですよ。栄養が極端に偏るとか、それこそ虐待と受け取られかねないほどの食事制限を無理に子どもに課すような場合を除けば、食事の内容や方法の選択は個人、つまりご家庭やお子さんの自由であるべきです、と。ちなみに、そのお子さんの問題は何を食べるかではなく、なぜ食べられないのか、だったわけです。
I:相談されたご本人からすると、マクロビは正しい食事であり、だからこそ子どもにはそうしたものを与えるべきだと思われていたけれども、先生からすれば「どちらでもいい」というわけですね。
高橋先生:ええ、実際にどちらでもいいですから。どちらでもいいことは世の中にいっぱいありますよね。特に日本の社会では、正しいことは一つであるべきという考え方が根強いそうです。でも、世の中に正しいことはいっぱいありますよ。だから面白いし、いろいろ迷ってしまう。複数ある正しいものの中から、自分が好きなもの、信じられることを選んでいるだけで、自分の“答え”が唯一の正解ではないわけです。子育てでは特にそのことが当てはまると思いますね。逆に言うと、他のご家庭が、それも多くのご家庭が自然にやっていることが容認できないと感じだしたら“赤信号”かもしれません。そのうち、(自分基準の)正しさに押しつぶされるかもしれません。
I: 正しさの呪縛ってやつかもしれませんね。それを考えると、子どもの社会性を育む上で問われるのは、親の社会性であり、より高いリテラシー(複数の選択肢の中から自分で選ぶ力)なのかもしれませんね。
高橋先生:そう思います。でも、安心してほしいとも思うんです。子どもを思う親の気持ちに嘘はありません。わが子のためと思って一生懸命わが家なりのルールを考えている親心が悪いはずはありませんから自信を持ってください。ただ、もしわが家のルールと世間のルールの違いに疑問を抱いたり違和感を感じているのであれば、自分だけの正義に閉じこもるのではなく、少しでいいから周りの様子も見てください。世間一般のルールや常識と冷静に比較してみて、自分たちの考えが大きく逸脱しているようであれば、修正が必要かもしれない。そんなに“正しさ”にがんじがらめになる必要はないのです。力を抜いて子育てしても、あなたの愛情は子どもに伝わります。その親心、少し緩めても、親心に変わりなし、ですよ。
小さな子どもたちまでマスクを付け、ソーシャルディスタンスを守っているこの時世だからこそ、多様な価値観を認め合う社会性が大切になっています。わが家なりのルールは悪いことではないけれど、子どもに過度な負荷をかけていないか、様子を見ながら伝えていくのも親の役割かもしれませんね。