東日本大震災から10年。
あの日生まれた赤ちゃんと家族の今

2021.03.04

ミキハウス編集部

10年前の3月11日、宮城県沖でマグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、大きな揺れと大津波、火災によって多くの尊い命が失われました。人々の暮らしを一変させてしまった未曾有の大災害から10年。

ミキハウス出産準備サイトでは、読者のママ・パパが震災の記憶を新たにし、命の大切さと災害への備えを考える機会にしていただければと、地震当日に東北地方で生まれたふたりの子どもさんとご家族にご協力をお願いし、お話を伺いました。

わが子の誕生と大災害を同時に体験したあの日のこと、そしてそこから続く10年の家族のストーリーは、コロナ禍で子育てに困難を感じているママ・パパに未来への希望と勇気を与えてくれるのではないでしょうか。

今回お話してくださるのは、岩手県一関市に住む佐藤ひまりちゃんのお母さん・理恵さんです。

 

【3.11に出産したママが語る、あの日のこと、そして10年】

3.11に出産したママが語る、あの日のこと、そして10年

産後、朦朧とするなか、分娩台が大きく揺れ始め…

2011年3月11日の早朝、一関の気温は氷点下にまで冷え込み、早春らしい薄曇りの空が広がっていました。前日朝に始まった陣痛で市内の産院に入院していた私は、なかなか進まないお産に不安を感じていました。すでに予定日を1週間もすぎているのに…。

9時頃、陣痛促進剤の投与が始まり、ようやく娘が生まれたのは13時21分のこと。

「かわいい赤ちゃんですよ」と看護婦さんが顔を見せてくれたけれど、強い痛みが続いていて、その時は抱くこともできませんでした。ずっと付き添ってくれていた夫も疲れ切っていたようでした。とにかく長かった。今、母子手帳の記録を見ているのですが、分娩所要時間は23時間29分だったようです。

出血もひどく、痛み止めの麻酔薬の影響もあり産後はしばらくボーッとしていたと思います。分娩台の上で止血の処置を受けているとき、突然これまで経験したことのない強い揺れが。分娩室のすべてのものがガタガタと音を立て、揺れはどんどん大きくなっていきました。意識は朦朧としながらも、いつまでも止まない揺れに次第に恐怖が募ってきたことを覚えています。

「怖い…どうしよう」

夫は病室に戻っていて、そばにはいませんでした。その時ふと頭に浮かんだのは祖父の顔。私の結婚をすごく喜んでくれて、ひ孫の顔が見たいと口癖のように言っていた祖父は、妊娠が分かる直前に亡くなっていました。小さい頃からかわいがってくれた祖父はきっとどこかで見守ってくれているはず。私は「おじいちゃん、助けて!」と心の中で何度も叫んでいました。

そんな状況でも、産院の先生や看護婦さんたちは「大丈夫だよ」と声を掛けてくれ、治療を続けてくださいました。

しばらくしてようやく揺れが収まったのですが、市内全域で停電になっていて、院内の照明も暖房もエレベーターも使えませんでした。入院患者は1階のロビーに避難することになり、私も先生たちに抱えられて降りていきました。「生まれたばかりの娘はどうしているだろう。主人は大丈夫だったかな」と心配していたので、ロビーでふたりの顔を見た時には本当にほっとしました。

それから停電が解消するまでの数日間、私たちは反射式ストーブで暖を取りながら他の患者さんと一緒にロビーですごしました。暗くなると先生たちが集めてきた懐中電灯だけが頼りです。出産時の出血で極度の貧血になっていた私は起き上がることもままならず、授乳もできずに横になっているだけで精一杯。

産院では食事にパンが配られましたが、食欲はわかず。そんな私を心配した主人が口元に運んでくれても、喉を通りませんでした。電気の通っていないトイレの便座が氷のように冷たくて、座るのが苦痛だったことも忘れられません。

地震直後はテレビも新聞もなくて、外で何が起きているのか分かりませんでした。しばらくして、友だちから携帯に「大丈夫?」と連絡がきたり、看護婦さんたちが「宮城は大変らしい」と話をしているのを聞いて、大きな災害になっていることを知りました。

停電が解消した15日に病室に戻り、テレビが見られるようになってはじめて大津波や火災の状況を目の当たりにしたときは言葉もありませんでした。私もつらい数日間をすごしたけれど、もっとずっと大変な思いをした人がたくさんいることに愕然としたのです。

震災後の一関市の様子

私たちが住んでいる一関市は内陸部にあるので、被害は比較的少なかったのですが、海(太平洋)側にあった製油所が津波で破壊されたために灯油やガゾリンの供給が止まりました。主人はガソリンを手に入れるために、ひと晩中スタンドの前に並んだりと大変な苦労をしたようです。ミルクやおむつを買うために何キロも歩いてスーパーに行ってくれたこともありました。

次のページ 震災後の子育ては不安もありましたが、子どもは立派に成長しています

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