東日本大震災から10年。あの日生まれた赤ちゃんと家族の今

東日本大震災から10年。
あの日生まれた赤ちゃんと家族の今

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10年前の3月11日、宮城県沖でマグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、大きな揺れと大津波、火災によって多くの尊い命が失われました。人々の暮らしを一変させてしまった未曾有の大災害から10年。

ミキハウス出産準備サイトでは、読者のママ・パパが震災の記憶を新たにし、命の大切さと災害への備えを考える機会にしていただければと、地震当日に東北地方で生まれたふたりの子どもさんとご家族にご協力をお願いし、お話を伺いました。

わが子の誕生と大災害を同時に体験したあの日のこと、そしてそこから続く10年の家族のストーリーは、コロナ禍で子育てに困難を感じているママ・パパに未来への希望と勇気を与えてくれるのではないでしょうか。

今回お話してくださるのは、岩手県一関市に住む佐藤ひまりちゃんのお母さん・理恵さんです。

 

【3.11に出産したママが語る、あの日のこと、そして10年】

3.11に出産したママが語る、あの日のこと、そして10年

産後、朦朧とするなか、分娩台が大きく揺れ始め…

2011年3月11日の早朝、一関の気温は氷点下にまで冷え込み、早春らしい薄曇りの空が広がっていました。前日朝に始まった陣痛で市内の産院に入院していた私は、なかなか進まないお産に不安を感じていました。すでに予定日を1週間もすぎているのに…。

9時頃、陣痛促進剤の投与が始まり、ようやく娘が生まれたのは13時21分のこと。

「かわいい赤ちゃんですよ」と看護婦さんが顔を見せてくれたけれど、強い痛みが続いていて、その時は抱くこともできませんでした。ずっと付き添ってくれていた夫も疲れ切っていたようでした。とにかく長かった。今、母子手帳の記録を見ているのですが、分娩所要時間は23時間29分だったようです。

出血もひどく、痛み止めの麻酔薬の影響もあり産後はしばらくボーッとしていたと思います。分娩台の上で止血の処置を受けているとき、突然これまで経験したことのない強い揺れが。分娩室のすべてのものがガタガタと音を立て、揺れはどんどん大きくなっていきました。意識は朦朧としながらも、いつまでも止まない揺れに次第に恐怖が募ってきたことを覚えています。

「怖い…どうしよう」

夫は病室に戻っていて、そばにはいませんでした。その時ふと頭に浮かんだのは祖父の顔。私の結婚をすごく喜んでくれて、ひ孫の顔が見たいと口癖のように言っていた祖父は、妊娠が分かる直前に亡くなっていました。小さい頃からかわいがってくれた祖父はきっとどこかで見守ってくれているはず。私は「おじいちゃん、助けて!」と心の中で何度も叫んでいました。

そんな状況でも、産院の先生や看護婦さんたちは「大丈夫だよ」と声を掛けてくれ、治療を続けてくださいました。

しばらくしてようやく揺れが収まったのですが、市内全域で停電になっていて、院内の照明も暖房もエレベーターも使えませんでした。入院患者は1階のロビーに避難することになり、私も先生たちに抱えられて降りていきました。「生まれたばかりの娘はどうしているだろう。主人は大丈夫だったかな」と心配していたので、ロビーでふたりの顔を見た時には本当にほっとしました。

それから停電が解消するまでの数日間、私たちは反射式ストーブで暖を取りながら他の患者さんと一緒にロビーですごしました。暗くなると先生たちが集めてきた懐中電灯だけが頼りです。出産時の出血で極度の貧血になっていた私は起き上がることもままならず、授乳もできずに横になっているだけで精一杯。

産院では食事にパンが配られましたが、食欲はわかず。そんな私を心配した主人が口元に運んでくれても、喉を通りませんでした。電気の通っていないトイレの便座が氷のように冷たくて、座るのが苦痛だったことも忘れられません。

地震直後はテレビも新聞もなくて、外で何が起きているのか分かりませんでした。しばらくして、友だちから携帯に「大丈夫?」と連絡がきたり、看護婦さんたちが「宮城は大変らしい」と話をしているのを聞いて、大きな災害になっていることを知りました。

停電が解消した15日に病室に戻り、テレビが見られるようになってはじめて大津波や火災の状況を目の当たりにしたときは言葉もありませんでした。私もつらい数日間をすごしたけれど、もっとずっと大変な思いをした人がたくさんいることに愕然としたのです。

震災後の一関市の様子

私たちが住んでいる一関市は内陸部にあるので、被害は比較的少なかったのですが、海(太平洋)側にあった製油所が津波で破壊されたために灯油やガゾリンの供給が止まりました。主人はガソリンを手に入れるために、ひと晩中スタンドの前に並んだりと大変な苦労をしたようです。ミルクやおむつを買うために何キロも歩いてスーパーに行ってくれたこともありました。

震災後の子育ては不安もありましたが、子どもは立派に成長しています

震災後の子育ては不安もありましたが、子どもは立派に成長しています

そんな日々の中でも娘はすくすくと成長していきました。名前を「ひまり」と決めたのは、「ひ」の音が持つ暖かみが好きだったから。「ひ」の付く名前を主人とあれこれ考えた結果、ひらがなの「ひまり」のおおらかなイメージがこの子にピッタリだと思ったんです。

しばらくすると生活物資に困ることはなくなりましたが、はじめての子育ては戸惑うことばかりでした。原発事故による放射性物質の影響に関する情報は錯綜し、何が正しいのかもわからない状態。ガイガーカウンター(放射線測定器)を買って身の回りのものを測っていたこともあります。

近所の人にもらった野菜さえ口にするのが怖いと思う一方、善意でくださったものを無駄にはできないと葛藤したこともありました。でも地震の後に同居を始めた主人の母が「心配だったら食べなくていいよ」と言葉をかけてくれて、肩の力が抜けました。あの時の私には、そんな一言でさえ救いになったのです。

小さい頃のひまりは病気がちで、すぐに熱を出しては水分も栄養も摂れなくなり、回復するのに時間がかかったものでした。5歳の頃には肺炎になって入院したことも。でも小学校に入ってからは本当に丈夫になりました。今ではマラソン大会でも運動会でも、縄跳びでも1等賞をもらってきます。早生まれのハンディは全く感じていないようです。

4年生になり学校のイラストクラブに入ってからは、絵を描くことにも熱中するようになりました。イラスト関連のYouTube動画を見ながら描いたイラストはすごく上手で、私も主人も感心してしまいます。

今ではひまりも立派なお姉さんです。あの子が2歳の時に下の子が生まれて、その2年後に3番目の子どもが誕生し、つい1年半前にもうひとり、妹も生まれました。あの日、あんなに心細い思いで抱いた赤ちゃんが、4人の兄弟姉妹の長女になっています。

次々に弟、妹が生まれるし、私は仕事を続けているので、ひまりを十分に構ってやれないことも多くてかわいそうに思うこともあるけれど、その分誕生日とかイベント事は盛大にお祝いしています。それでひまりが満足できているかはわからないけど…いつも構ってあげられずにごめんね。

3.11に産まれたわが子について思うこと

3.11に産まれたわが子について思うこと

小さい頃から病院でひまりの保険証を出すと「震災の日に生まれたの?」と聞かれることがありました。1年生の頃、学校から帰ってきたひまりから「私は震災の日に生まれたの?」と真剣な顔でたずねられたこともあります。学校の生活科の授業で震災について習ったということでした。

私たち自身も海沿いに住んでいた親戚を津波で亡くしたので、お墓参りは毎年欠かさず行くし、命の大切さを子どもたちに伝えていかなければならないと考えてはいますが、ひまりの誕生日は誕生日として祝ってやりたいという気持ちもあります。

ひまりは震災の日に生まれたということについて「なんとも思っていないよ」と言います。確かに偶然の出来事なのですが、親としてはこれからいろいろな経験をしていく中で、どれくらい大変なことだったのかを理解してもらいたいし、やさしさや感謝を忘れない人間に育ってほしいと考えています。

今は岩手県でもコロナ禍で外出自粛が続いています。休みの日に家族で出かけることもなくなり、家の中でタブレットやゲームで遊ぶ子どもたちが気になりますが、「今は仕方がない。いつかできるようになったら子どもたちをあちこちに連れて行ってやろう」とできるだけ前向きに接することを心がけています。

子育てって、一人目の時は親が不慣れで不安だらけ。でも私自身の経験で言えることは、一人目より二人目、二人目より三人目と経験を積むにつれて余裕がでてくるということ。最初はできなくて当たり前なんです。赤ちゃんと一緒に成長するつもりでのんびり構えると気持ちも楽になるし、助けてくれる人がいれば、ためらわずに頼ってみたら子育てを楽しめるようになるかもしれませんよ。

私たちは今、夫婦と4人の子ども、それに主人の祖母(子どもたちの曾祖母)を加えた7人で暮らしています。私も仕事を続けており、毎日が本当に慌ただしく、にぎやかにすぎていきます。

「将来はイラストレーターになりたい」と言うひまり。子どもたちには勉強が苦手でもいいから、何かひとつ好きなことを見つけて打ち込める人になってほしいというのが私と主人の願いです。東日本大震災を経験し、あの日から始まった子育ての日々の中で、私と主人が学んだのは、この当たり前の幸せな日々を大切に暮らすことではないかと考えています。

3月11日、災害の中で生まれたひまりちゃん。すっかりお姉さんらしくなりました。

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