東日本大震災から10年。
あの日生まれた赤ちゃんと家族の今

2021.03.04

ミキハウス編集部

震災後の子育ては不安もありましたが、子どもは立派に成長しています

震災後の子育ては不安もありましたが、子どもは立派に成長しています

そんな日々の中でも娘はすくすくと成長していきました。名前を「ひまり」と決めたのは、「ひ」の音が持つ暖かみが好きだったから。「ひ」の付く名前を主人とあれこれ考えた結果、ひらがなの「ひまり」のおおらかなイメージがこの子にピッタリだと思ったんです。

しばらくすると生活物資に困ることはなくなりましたが、はじめての子育ては戸惑うことばかりでした。原発事故による放射性物質の影響に関する情報は錯綜し、何が正しいのかもわからない状態。ガイガーカウンター(放射線測定器)を買って身の回りのものを測っていたこともあります。

近所の人にもらった野菜さえ口にするのが怖いと思う一方、善意でくださったものを無駄にはできないと葛藤したこともありました。でも地震の後に同居を始めた主人の母が「心配だったら食べなくていいよ」と言葉をかけてくれて、肩の力が抜けました。あの時の私には、そんな一言でさえ救いになったのです。

小さい頃のひまりは病気がちで、すぐに熱を出しては水分も栄養も摂れなくなり、回復するのに時間がかかったものでした。5歳の頃には肺炎になって入院したことも。でも小学校に入ってからは本当に丈夫になりました。今ではマラソン大会でも運動会でも、縄跳びでも1等賞をもらってきます。早生まれのハンディは全く感じていないようです。

4年生になり学校のイラストクラブに入ってからは、絵を描くことにも熱中するようになりました。イラスト関連のYouTube動画を見ながら描いたイラストはすごく上手で、私も主人も感心してしまいます。

今ではひまりも立派なお姉さんです。あの子が2歳の時に下の子が生まれて、その2年後に3番目の子どもが誕生し、つい1年半前にもうひとり、妹も生まれました。あの日、あんなに心細い思いで抱いた赤ちゃんが、4人の兄弟姉妹の長女になっています。

次々に弟、妹が生まれるし、私は仕事を続けているので、ひまりを十分に構ってやれないことも多くてかわいそうに思うこともあるけれど、その分誕生日とかイベント事は盛大にお祝いしています。それでひまりが満足できているかはわからないけど…いつも構ってあげられずにごめんね。

次のページ 3.11に産まれたわが子について思うこと

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