お片付けをしない、食事の時に歩き回るなど、わが子が目に余る振る舞いをした時、「こんなにしつけているのに聞いてくれない。何が悪いんだろう」とため息をついているママ・パパはいませんか? 「こうして欲しい」とママ・パパが思うことをわが子に教えるためにどのようにすればいいのでしょうか。そもそも、“しつけ”とはどうあるべきなのでしょう?慶應義塾大学医学部教授で小児科医の高橋たかお先生に伺いました。
何をしつけるかは、時代の感覚や親の価値観を反映します
担当編集I(以下、I):今回のテーマは「しつけ」です。親としてはなるべく子どもをのびのびと育てたいと思いつつも、のびのびさせた結果、自由すぎて大変…という話もよく耳にします。どういう風にしつけるべきか、とか、しつけという考え方自体が古いのか、とか考えれば考えるほど、わからなくなることもあります。
高橋先生:最初にはっきりさせておきたいのは、子どもがしてはいけないことをした時にたしなめるのは「しつけ」ではなくて「叱り」ですよね。叱る時には、見つけたその場ですぐに間違いを指摘するのが鉄則です。後で振り返っても、子どもにとっては何が悪かったのか分かりません。でもしつけは違うんです。しつけは短い時間の単位で考えるものではなく、子育てのポリシー、教育方針に基づいて行うべきことです。親として、こういう大人になってほしい、「大人になった時、こんな行動や考え方が身についているといいな」と願うことから始まると思うんです。
I:わが子にどんな大人になって欲しいのかということを、まず親が自覚しなくてはいけないんですね。
高橋先生:しつけには「何を(=WHAT)」しつけるかという点と、「どのように(=HOW)」しつけるかという点があります。どのようにしつけるかについては、のちほど詳しくお話ししたいのですが、まずは何をしつけるのかについて僕の考えを述べていきますね。
I:よろしくお願いします。どんなことをしつけるべきかは、親として大いに迷うところなんですよね。
高橋先生:何をしつけるかは時代とともに大きく変化していきます。例えば、家族団らんの食事にテレビは欠かせない、というご家庭が多いのでは?
高橋先生:僕らが育った時代には、テレビを見ながらご飯を食べることは悪いことだった。でも今はそうとも言い切れないでしょう? 最近はスマホをのぞきながら食べると「やめなさい」と言われるのかな。そんな風に時代によってしつけの具体的な内容は変わるんですね。文化の違いもしつけに影響しますね。日本文化と西洋文化は違うから、しつけるべき内容も異なっていいのではないでしょう。
I:なるほど。時代や文化が違うと価値観が変わるし、それに伴ってしつける内容も当然変わってくるだろう、ということですね。
高橋先生:ええ。そう考えると、何をしつけるかはそれぞれの家庭で決めることになりませんか。お父さん、お母さんの考え方と子どもとの関係性の中で生まれる「こんな人に育って欲しい」という親の願いがしつけのアウトカムなんです。
I:アウトカム?
高橋先生:アウトカムというのは、効果とか結果という意味があります。わかりやすいように、教育を例に挙げてご説明しましょう。教育とは過程が大事で、興味を持って学ぶこととか、先生や友だちとの楽しい学校生活に意義があるとよく言われますよね。でも本来、教育は一番厳しいアウトカムの世界なんです。
I:厳しいアウトカムの世界…つまり結果第一主義ということですか?
高橋先生:いえいえ、そういうわけではありません。ここで言うアウトカムとは「目標」みたいなものでしょうか。明確に目標(アウトカム)を設定して、それに向けてさまざまな介入をしていく、その過程が教育だという意味です。例えば慶應義塾の基本精神に「独立自尊」という言葉があります。慶應義塾の教育のアウトカムは、自他の尊厳を守り、何事も自分の判断・責任のもとに行う人間を育てることなんだと思うんです。そういう意味においては、慶應義塾における教育のアウトカムは「独立自尊」ということになります。私も医学部の授業や臨床自習ではリーダーシップを身に着けた医師になってほしい、という「アウトカム」を明示します。僕なりの理解では、リーダーシップとは独立自尊の精神そのものなのです。アウトカムを決めるのはあくまでも教育者であり学校。そう考えると、学校を選ぶ際には、偏差値の高い、低いではなく、その学校の教育のアウトカムが何か、ということを重視してもいいかもしれません。
I:基本精神でもあり、言い換えると「教育方針」ってことになるのでしょうか。そうすると、しつけも親の教育方針ということになりますね。
高橋先生:そう思いますね。特に幼児期のしつけは、教育方針と似ているところがあります。まず親がこんな子に育ってほしいというアウトカムを設定して、それに沿っていろんなことを学ばせていくわけです。