乳幼児期に、読み書きや計算のスキル(≒認知能力)ではなく、共感力、好奇心、集中力、忍耐力などの感情や心の働きに関する「非認知能力」を伸ばすことこそが、その人の人生を充実させ、豊かにするという研究結果があるそうです。
「本当に大切な『学び』とは〈後編〉」は、乳幼児期に育つ能力をどう育てるかについて、お茶の水女子大学人間文化創成科学研究科で「子ども学」を教える浜口順子教授にお聞きしました。
お茶の水女子大学家政学部児童学科卒 お茶の水女子大学大学院 家政学研究科修了 博士(人文科学)。研究キーワードは乳幼児期、保育、子ども観、倉橋惣三。雑誌「幼児の教育」(フルーベル館)編集主幹。お茶の水女子大学 基幹研究院(保育・児童学)教授。3児の母。
親子で遊ぶ、家で一緒にゴロゴロする。そんな時間も子どもの能力を育てます
――前編では、「非認知能力」として注目されている共感力、好奇心、集中力、忍耐力などは、乳児期からのママ・パパとの触れ合いをベースに育つことを教えていただきました。そこで後編では、わが子の「非認知能力」を育てるためにママ・パパが心がけるべきことについて伺いたいと思います。
浜口先生:そうですね…。親御さんがそういうことを知りたいだろう、だからこそのご質問だとは思いますが、個人的にはわが子の「非認知能力」を育てるために心がけるべきことは何かと考えること自体、ちょっと違和感があります。
――と、おっしゃいますと?
浜口先生:感情や心の働きに関する「非認知能力」は日常生活の中でゆっくりと育っていくもので、大人が成果を期待して取り組むものではありません。そのため「どうしたら伸びるか」と結果を見越して子どもに接した時点で、塾や習い事に連れていくのと同じことになってしまうのではないかなと思うんです。
――それは確かにそうですね。
浜口先生:ですから「なにかをしてあげなきゃ」とか「親としてこういう態度で子どもに接したほうがいい」みたいな話ではないんですね。ただ一緒に買い物に行ったり、子どもが思い切り遊ぶ姿を見てほほえましく思ったり、一緒に部屋の中でゴロゴロしたり…そんな何気ない時間が親子の絆を育むんです。
「子どもと一緒にいるといやされるなあ」とか「子どもってよくわからないけど面白いよな」と親が心に余裕をもって子どもとすごすことが大切。はじめは肩に力を入れて「一緒に遊ぶことで非認知能力が育つんだ。頑張って遊ばなきゃ」というような気持ちだったとしても、いつの間にか親のほうがリラックスして子どもよりも夢中になって遊んでいたりするような、そういう自然な流れがあるといいと思います。
――特別なことなんて必要ないと。
浜口先生:そう思います。お母さん・お父さんと一緒のいい時間の中で、子どもは信頼感や共感力を身につけていくし、お母さん・お父さんはわが子がどんな子どもか、わかってきて、気持ちを汲み取ることができるようになっていきます。「できるかできないか」とか「普通か特殊か」という見方をしてしまうのは、他の子どもと比較する目線です。それは一人ひとりがその子らしさを持っていて、しかも今を健気に生きていることを見えにくくしています。
――そもそも、乳幼児期に習得できる能力やスキルは、しばらくすれば誰でも身に付けられることが多いと言いますよね。それよりもママ・パパとすごす日常の中に、「学び」の機会がたくさん散りばめられていることを、もっと信じていいと。
浜口先生:はい。ただ、お母さん・お父さんは毎日忙しい方が多いですよね。でも時間が取れるときは一緒にすごして、子どもの様子を見ながら「今、この子はどんな気持ちなのかな」、「何をしたいのかな」と感じていただきたいです。そういうことの繰り返しが、子どもの中にも「大人のうれしい顔がみたい」、「ママ(パパ)、なんか元気なさそうだな、どうしたのかな、何かしてあげたいな」という気持ちをだんだん育てていきます。それが絆だし、共感力なんですね。
――そういう意味では、ママ・パパは子どもがやりたそうなことを見つけてあげることが大切になりますかね?
浜口先生:う〜ん、そこがまた難しいところですけど、あまり肩肘張らないでいただきたいと思うんです。十分すぎるお膳立てをすると、子どもはすぐ飽きてしまいますし。用意しすぎないというのは幼児教育の鉄則。「これが面白いよ」「きっと役に立つよ」と与えていては、子どもはそれなりには楽しんでも、夢中になって遊ぶというわけではないだろうと思います。
子どもが自分で興味のあることを見つけて「こうしたらどうなるかな」、「もっとやってみたい」と目を輝かせて何かに取り組むようになるには、たくさんの無駄に見える時間が必要なんです。本当の「非認知能力」を育てたいなら、子どもが何かを見つけるまで待ってあげなくていけません。
日本の保育現場では「見守る」がキーワードなんです。話しかけたり行動を起こしたりする前に、一歩下がって「見守る」。その時間をおいてみると、案外子どもが思いがけないことを言ったり、やり始めたりします。そんなとき「あー、待っててよかった」と思うことがよくあります。
今は見守らない大人が多すぎるかもしれない。でもそれは、放っておくのとは違うんです。放っているように見えても、なんとなく子どもの様子に気を留めている。そういうディスタンスをとっていないと、その子どもの「らしさ」のようなものは見えてこないし発揮されない。じれったくなっても、手を貸したいと思っても、一度待つんです。子どもが自分自身の力と向き合えるように。必要な時には子どもの方から助けを求めに来ます。
――待つ…ですね。待っていて本当に見つかるのか不安にもなりますが(苦笑)
浜口先生:暮らしの中にはいろいろな経験の機会があります。例えばお母さんが家族のために心を込めて料理を作る、お父さんが趣味の自転車を修理する。大人が何かに没頭している姿にひかれて、子どもは自分もやってみたくなるものです。
私の関わっているこども園でも、大工仕事でいろいろなものを魔法のように作り出す男性職員の周りにはいつも子どもが集まって、目を丸くして見つめています。大人が一生懸命に取り組む姿は格好よくて、憧れの的なんですね。そういう大人に接する経験が、子どもの「非認知能力」を自然に育てるのだろうと思いますよ。