――子どもの「非認知能力」が育ちにくい環境というのはありますか?
浜口先生:ベテランの幼稚園の先生に伺ったのですが、最近の子どもたちはやってもらう経験が少ないように見えることがあるそうです。昔は靴の紐がほどけたらお母さんが結んでくれるものだった。できないことがあるとお母さん・お父さんが助けてくれたんですね。でも今は小さなうちから「自分でやりなさい」と言われる。
片付けもそうです。親子一緒に片付けをした経験もないのに、「片付なさい」と叱られる。でもやったことがないのにできるわけありませんね。さきほどの「待つ」というお話と矛盾するようなのですが、最近は「自立、自立」と言われすぎているような気もします。「自分でできることは自分で」というのも程度問題です。まだ一人ではとてもできそうもない子どもを前にして、一人でやりきるのをじりじり待つ必要はないのです。
身の回りの支度や片付けなどの生活習慣、包丁を使ったり種を植えたりなど一定の技能を必要とするような行為は、始めはちゃんと大人がモデルを示してやる。もともと大人の能力にあこがれている子どもたちですから、そのうち、「自分でやりたい!」とかならず言い始めます。助けてもらう経験がないと「自立」には向かわない。矛盾しているようですが、ちゃんと依存する経験は大切。そこでちゃんと助けてもらうと人は自立したくなる。
――助けてもらう経験を経て、自立へと意識が向かうのですね。
浜口先生:何度もサポートしてもらっているうちにできるようになるのが、発達していくということなんです。有名な発達心理学者のレフ・ヴィゴツキーが唱えた「発達の最接近領域」という概念があって、簡単に言うと「自分ではできないけれど、誰かの協力があればできるかもしれない領域」という意味です。
でも、たとえば「絵本を読んで」というような要求に対してして「あなたはもう字を読めるでしょ」というのは、ちょっとおかしいと思います。絵本とは一緒に読むのが楽しいものです。文字は読めても読んでもらいたいことがよくあります。「できる、できない」では割り切れない世界。子どもがその時どういう気持ちで「読んで」と言っているのか、感じてほしいと思います。
子どもが今できることから次の段階に進むためには、お母さん・お父さんの支えがあって、子どもがこれなら大丈夫、自分でやれると思う時が来るのを待つことが大切なんですね。やってもらう喜びを知らない子は「非認知能力」も育ちにくいのではと言われています。
――やってもらう喜びを知らせることが大切なんですね。
浜口先生:はい、やってもらう喜びを知っていると、人に手を貸すことも自然にできるのだと思います。たとえば、幼稚園の保育室で先生が「〇〇ちゃん、お部屋が散らかっていて歩くの危ないから、そこのブロック片付けるの手伝ってくれる?」と近くにいる子どもに声をかけた場合に、「ぼくがやったんじゃないもん。自分のことは自分でやるんでしょ」と言って、ブロックで遊んでいた当の子どもを探しに行くというようなことが起こります。「自分のことは自分で」ばかり強調されると、こういう行動を生んでしまうのかなと思います。本当の自立とはなにか、考えてみる必要があります。
もうひとつ、「非認知能力」にも影響するのではないかと私が最近気になっていることがあります。それは公園で遊ぶ子どもに付き添っているほとんどのお母さん・お父さんの片手にスマホがあるということ。みなさん、わが子の姿を残しておきたいと思って、スマホで撮影していますよね。
――子どもの成長を撮って、SNSにあげて、友達や祖父母に見てもらう…コロナ禍の今、会えない親にも近況を報告したいという思いもあるんでしょうね。
浜口先生:それがまぁ10分ぐらいだったら、問題はないだろうと思いますよ。でもたまに公園にいる間中ずっと、わが子の姿を撮っているお父さん・お母さんもいるんですね。私も子どもを育てましたから、成長の記録を残したいという気持ちはわかります。でもずっとスマホを手放さず、場合によっては誰かと「通信」している。
こう言うと説教臭く聞こえるかもしれませんが、もっとゆっくり子どもの姿を直接見てあげて欲しいと思います。スマホを置いて、親子の時間を楽しんでもらいたいし、「撮影者―被写体」という関係以外の自然な関係で子どもを感じてほしいです。大人でも、デートの最中にもし相手が自分の撮影ばかりしていて、ずっとファインダー越しに会話をしていたら、変だと思うでしょう。この人は本当の私に興味があるのかしらって。子どもと大人の関係も同じです。