高橋先生:そもそもジェンダーレスという言葉は、性差を否定するものではなく、みかけの性別による決めつけや差別をなくすという意味で使われているものですよね。一方で、健全なジェンダー観を持っていないと差別的な言動に結びつく可能性もある。本人には差別の意識がなくてもね。とにかく非常にデリケートな話題です。我々親の世代はジェンダー観について教えられた記憶もないし、まじめに議論したこともありません。それを子どもに教えること自体に無理があると思いませんか。子どもたち自身が、この時代にリアルに生きていくなかで学んでいくべきことだろうと思います。
I:それはその通りですよね。ただ、差別につながりそうな考えを持っていたら、注意はしたいと思うんです。たとえば、わが家の6歳の娘は「男の子がスカートを履くなんておかしいよね」と言うようになったんです。娘の気持ちはわかるのですが、親としては差別的な考えの種を詰んでおいたほういいかなと思い、やんわりと「スカートを履きたい男の子だっているんじゃないかな」と言ってはみたんですけど…。
高橋先生:女の子が、男子がスカートを履くのはおかしい、と感じるのは自然なことだと思います。子どもは正直で時に残酷ですから、仮にスカートを履いている男の子にそういうことを言ったとしても不思議はないと思います。背が小さい子には「チビ」って言うし、太っている子には「デブ」って言う。でも、そんなことを続けると、やっぱりどこかで痛い目にあうわけです。それで、差別的なことを言ったら相手を傷付けるし、いずれ自分に返ってくることを学ぶ。スカートを履く男の子に「気持ち悪い!」となじった後に、その子がとても優しくていい子だと知ったら、自分の言葉を悔いることにもなる。そこで感情が揺れて、いろいろ学ぶわけです。
I:つまり、わが家のケースも、未然に「差別的だから、やめなさい」と諭す必要はないと。
高橋先生:僕はそう思いますよ。ただ僕も「そんなことを言われた相手の気持ちを想像してごらん」くらいの問いかけはするかもしれません。ジェンダー教育は大切ですが、かと言って、男の子が男らしくすること、女の子が女らしくすることを推奨することも、否定することも必要ないのでは。大人ができることは「君は君らしく」と声を掛けることくらいじゃないでしょうか。いろんな考え方、言動を認め合って、それぞれの子に「自分らしさを大切にして生きなさい」と教えてあげるのがいいのかなと僕は思います。
「君は君」、「人は人」。人にはそれぞれの立場があって、その人なりの思いもあるということを理解できるようになれば、世の中に真のジェンダーレスが広がっていくんじゃないかと思いますね。
I:ジェンダーレスと聞くと、性別や性差をないものにすることとイメージしてしまいがちなのですが、本来は一人ひとりが自分らしく幸せに生きられる社会になれば、そういう言葉はいらないのかもしれませんね。それなら私たち親世代も心がけることができそうです。まずはわが子に「自分らしく」と語りかけることから始めたいと思います。今日も素敵なお話をありがとうございました。