まだ結婚の予定はないし、パートナーもいない。それでも将来は子どもを持ちたい。しばらく仕事でキャリアを積みたいので、妊娠・出産はもう少し先だと考えている。そんな“今ではないけど、いつか産みたい女性”にとって、未受精卵の卵子凍結が近年、注目を集めています。
一方、この選択肢を検討する上で、事前に知っておくべき知識が「あまり共有されていないようにも感じる」と警鐘を鳴らすのは、慶應義塾大学名誉教授で産婦人科医の吉村泰典先生。日本での生殖補助医療を黎明期から支え、不妊治療の現場で活躍しつつ、政府に対しても、さまざまな政策提言をしてきた吉村先生に、2023年現在の卵子凍結にまつわる課題についてお聞きします。
卵子凍結とは卵子だけ“時計の針”を止めること
一般的にもっとも女性が妊娠しやすい年齢は20代とされており、加齢に伴い妊娠率は低下し、逆に流産率は上昇していきます。
「女性が35歳をすぎたあたりから妊孕(にんよう)力(=妊娠する力)は低下、45歳前後になるとたとえ排卵や生理があっても自然妊娠は難しくなります。加齢による妊孕力の低下を引き起こしている主要因は卵子の老化。卵子は年齢とともに、質と量ともに低下するため妊娠しにくくなるわけですが、逆にいうと若いときの卵子を取っておけば、ある程度高齢になっても妊娠はできるだろう…これが卵子凍結の基本的な考えとなります」(吉村先生)
卵子凍結とは、若いうちに卵子を採取・保存することで卵子だけ“時計の針”を止めて将来の妊娠に備えること。つまり若い頃の卵子を凍結保存しておくことで、卵子を凍結した年齢の高い妊娠率と低い流産率を維持することが期待できる、というわけです。
ちなみに一口に卵子凍結といっても、大きく2種類のものに分けられます。
ひとつは医学的適応による卵子の凍結。病気そのもの、または病気の治療により生殖機能が低下する恐れがある場合に行われるものを指します。
「たとえば癌や白血病になると、放射線を当てたり抗がん剤を投与するなどの治療を行うことがありますね。そうすると卵巣の機能が低下し、子どもを持つことが困難になることもあるので、治療前に卵子を取り出して凍結することで、将来的な妊娠出産の選択肢を残しておく方法です」(吉村先生)
もうひとつが、健康な女性が「いつかは産みたいけど、今ではない」という個人の希望・理由で、 “若い卵子”を老化させずに保存しておくノンメディカルな卵子凍結です。〈社会的適応卵子凍結〉や〈選択的卵子凍結〉と言われることもありますが、現在の日本の医学界では医学的ではないという意味の〈ノンメディカル卵子凍結〉という言い方で統一されています。
今、世間的に注目されているのは、このノンメディカルな卵子凍結。これが一般化したのは比較的最近のことで、2012年に米国生殖医学会が融解凍結卵子の出産に特別なリスクがないことを発表したことに端を発しています。その2年後に、Facebook(現Meta)やAppleなどアメリカのITテック企業が立て続けに社員による卵子の冷凍保存を資金支援する福利厚生策の導入を発表。以来、アメリカでは主に女性の社会進出が進む都市部で利用者が増えていくことになります。
「働く女性にとっても、雇用する企業にとっても、(労働者として)女性が活躍できる時期を妊娠と出産のために途中離脱したり、仕事量を抑えたりしなければいけない状況は大きな課題となっていました。それを解決するための有効な手段として、アメリカでは世界に先行して健康な女性による卵子凍結という選択肢が取られていくことになります」(吉村先生)
ほぼ同じ時期(2013年)に日本でも、社会的卵子の凍結をめぐる議論が始まります。なお、この議論を日本に持ち込んだのが吉村先生でした。
「晩婚・晩産化が著しい日本では、若い時期にパートナーを見つけられる人も限られています。また出産適齢期でなくても妊娠出産を可能にすることは、女性の社会進出を促すことにもつながるし、自分の妊娠出産の時期を、自身が望むときに決めることには倫理的な問題もありません。であれば、日本でも導入していこうということになったのです」(吉村先生)