東日本大震災から10年。
あの日生まれた赤ちゃんと家族の今 vol.2

2021.03.11

ミキハウス編集部

私たちが学んだことを、しっかりと伝えていきたい

私たちが学んだことを、しっかりと伝えていきたい

小学校の入学式の日

震災では多くの方が当然来るはずだった明日を突然奪われました。あの日から誕生日を重ねることができないお子さん、わが子の成長を見守り、祝うことができなくなった親御さんがたくさんいらっしゃいます。

3月11日は息子の誕生日ではあると同時に、震災で亡くなった2万人近くの方たちの命日であり、鎮魂の祈りを捧げる日。家族全員が無事に震災を乗り越えたばかりか、新しい命を迎えて穏やかに暮らしていることを、私は心のどこかで申し訳なく感じていました。

息子の5歳の誕生日まで、3月12日の朝に「おめでとう」と本人に伝えていたのはそんな理由があったからです。はじめて息子の顔を見ることができた3月12日が、私にとっては息子の誕生日と考えるようにしていたのです。

それでも幼稚園に行きはじめ、毎年クラスのみんなと同じ年になれる日が待ち遠しくて仕方がない息子の姿を見ているうちに、彼にとって3月11日はこの世に生を受け、家族に迎えられた特別な日と気づきました。誕生日に「おめでとう」と言えない自分は、目の前にある大切な命を軽んじているのではないか、そう考えるようになって、6歳は小さな声でしたが3月11日に「おめでとう」を伝え、7歳、8歳と年月を重ねるにつれて心から誕生日を祝ってあげられるようになりました。

お誕生日をめぐる私の葛藤は、震災の日の出来事を理解し始めた息子に少しずつ話して聞かせています。悲しい顔をするから、ちょっぴりつらいけれど…。でも、誕生日を迎えられることは決して当たり前のことではなく、周りの人たちに支えられ、守られているからできること、自分の命を大切に精一杯生きること、周りの人の命も同じように尊重すること。あの日私たちが学んだことを、しっかりと伝えていくつもりです。

毎年、3月11日の前後に家族で震災の伝承館や慰霊碑を訪れていますが、東北地方を襲った大災害の教訓が次の世代にも受け継がれていくように教えていきたいと思っています。

マスクの着用や外出自粛が呼びかけられているコロナ禍の現在は、ある日を境に日常が奪われ、息苦しさを感じながら生活をしていた震災後の生活を彷彿とさせます。放射線への対応もコロナの予防も「これで大丈夫」という正解がなく、日々の不安はつきません。情報が溢れる世の中で、何が正しくて、何が間違っているのかわからないことも多くて、大人たちも疲れがちです。

でもそんな日々だからこそ、子どもたちとの時間は貴重です。明るい未来を信じて、今しかできない楽しみや喜びを見つけながら、一緒にこの危機を乗り越えていきたいと思っています。

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