I:成長には「健全ないざこざ」が大いに役に立つというお話は分かります。友だちとの遊びから子どもが学ぶものはたくさんあるということですね。
高橋先生:イヤイヤ期に思う存分イヤイヤをした子は、その経験から自律を学ぶと思うのですが、続いてやって来る時期を、僕は “いざこざ期”と呼びたいと思います。これは友だちとの関わりあいの中で社会性を身に付ける時期なのでは。
文科省の調査結果で小学2年生がいじめのピークになっているという話ですが、小学校に入学して1年ぐらい経ったその年頃は、ちょうど小さないざこざやいじめに至らない悪ふざけが表に出てくる時期なのでは。ですから、それほど深刻にとらえなくてもいいのかなと僕は思います。もちろん、一方的な、徹底的な攻撃、相手を傷つけるだけで何も得られない中傷が起こらないように大人の見守りも必要です。
I:介入するのと見守るのは、似ているようで全然違うということですよね。それにしても、イヤイヤ期の次はいざこざ期、というのは言い得て妙です!
高橋先生:この時期に、遊びの中で小さないざこざをたくさん経験するからこそ、こんなこと言ったら悲しいよなとか、こんなことしたら嫌だろうなとか、相手の立場を想像できるようになる。すなわち、双方向性のコミュニケーションの中で共感力が育つということでもあります。
I:共感力ですか。たしかにいじめの問題を考える時に、共感力があるか否かはとても重要な気がしますね。
高橋先生:親ならだれでも「自分がされて嫌なことは他人にもしてはいけない」と我が子に教えませんか。共感力が育っていれば、その言葉の意味をしっかり理解できるはずです。すなわち、共感力とは他人のことを自分のことのように実感できる力。自分の言動を相手はどう感じとるかを想像することを通じて、やっていいこと悪いこと、言っていいことと悪いことを判断できる。これがしっかりできていれば、いじめにストップがかかるはずです。
I:他人の気持ちに寄り添えるか、相手の感情や考え方を想像できるか……。それも幼い頃にしっかり、友だちと“いざこざ”を経験しないと育めないものなんですね。すごく興味深いお話です。
高橋先生:子どもの共感力はすごいです。先日、僕は子どもたちの共感力を目の当たりにして、涙をこらえきれなかったことがありました。骨肉腫の男の子が「脚を切断したくない」とすごく悩んでいましてね。医師や親御さんは命を優先して切断をすすめたけれど、男の子は、たとえ命の危険があってもサッカーを続けたかった。
そんな時、同じ病気で脚を切断した女の子が声をかけてくれたんです。その子はもう退院していたのに、悩み苦しんでいる男の子がいることを知って、わざわざ病院まで来てくれた。「私は切ったよ。こんなに元気になったよ」と。それで彼は、脚を切断する決心をしたんです。
I:見ず知らずの相手であっても、少女は自分の経験を話すことで思いを共有し、男の子の力になろうとしたのですね。そうやって相手の気持ちに寄り添える子が増えるといいなぁ。
高橋先生:そうですよね。繰り返しになりますが、共感力を育てるためには小さな“いざこざ”はたくさん経験しておいた方がいい。たしかに子どもは生まれつき素晴らしい共感力を持ってはいる。けれど、それを発揮できるようになるためには、ツーンと刺激のある、ちょっと涙も出そうな、新鮮なわさびみたいな小さな“いざこざ”を数多く乗り越えることが大切なのです。
I:子ども同士の小さな“いざこざ”を親や周りの大人たちが先回りして解決しようとするのはよくないですね。
高橋先生:ええ、子どもの行動を大人の理屈であらかじめ制限してしまうことになります。それは、子どもから共感力を膨らますチャンスを奪ってしまうことになりかねません。共感力が欠如した子どもは、場合によっては友だちをこっぴどくいじめるようになってしまうかもしれません。
I:いじめが社会問題化したのは30年以上前のことだと思うのですが、最近になってまた増加傾向が見られるというのは、どうしてなのでしょう?
高橋先生:昔からこんなものだった可能性もありますが、一方、友だちや年上の子が「やめろよ」と注意するような、子ども同士の浄化作用が働きにくくなっているようにも見えます。ネット社会の広がりが生身の人間との関わり合いを減らし、共感力が育ちにくい環境になっている可能性もあります。これは根拠のない想像ですが、僕はちょっと心配しています。